新日野駅の誕生

[ ] 2011/01/03

 日露戦争後の明治39年(1906)3月「鉄道国有法」が成立し、甲武鉄道はすぐに買収され国鉄中央線となりました。


現在も使われている日野駅舎

 中央線は平行して走る京王電気鉄道と競うようにして電化が進められ、昭和5年(1930)に浅川駅(現・高尾駅)まで全て電化されました。続いて昭和10年からは、立川以西を複線化する工事が始まりました。これにともない、急坂を登る台地の上にあった日野駅は現在の位置に移転し、豊田駅(明治34年開業)とともに新築されることになりました。

 昭和12年(1937)6月1日、中央線が電化複線化された時、新日野駅が誕生しました。

 昭和7年には駅の下を通る新甲州街道が完成しており、駅はこの道に面して作られ、築堤の上にある「島式」の乗降場(ホーム)へは階段で上り下りするようになりました。新しい駅はまちの新しい中心となりました。

 設計者は旧交通博物館(万世橋駅)などを設計した伊藤滋といわれており、駅舎設計に関する当時の記録には「日野、豊田付近は充分に近代都会的文化の影響を受け ている所とはいえ、尚昔ながらの関東平野からの自然発生的風景習俗を保っている所でありまして、従って此所に建てられるべき最もふさわしい家はやはり関東 民家の雅味を持ったものと考えられます。日野、豊田駅を田舎家風に設計した所以であります」、とあります。ー鉄道路線変遷史探訪よりー

 同じ日には豊田駅も改築され、両駅の完成を祝う祝賀会が八坂神社で盛大に開催されています。

 昭和10年代から日野町には大工場が相次いで建設され、戦後の40年代以降は急激な宅地開発が進み、鉄道の輸送量も駅の利用客も増加しました。国鉄は昭和61年に民営化され、日野駅も東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)の駅となりました。駅舎は改修の手が入っているものの、ほぼ当時のままの形状で使用され、鉄道ファンのみならず多くの人びとに愛されています。

 

六櫻社(現コニカミノルタ)発行 「祝日野豊田両駅改築落成」絵葉書

 

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