日野用水の開削

[ ] 2011/01/05


昭和30年ころ。日野駅周辺はまだ一面が田んぼでした。日野用水の分水「山下堀」の改修が進められています。右の森は八坂神社、左は宝泉寺です。

 日野市は、湧き水がたくさんあり、さらに米作りのために、多摩川と浅川から引かれた農業用水路が市内を網の目のように流れ、大変水に恵まれています。その用水路の中でも日野用水は江戸時代前に開削された、一番古い用水です。

 日野用水は永禄10年(1567)室町時代後期に開拓されました。開削したのは佐藤隼人正信(はやとまさのぶ)。元は美濃国(岐阜県)武儀(むぎ)郡八幡村の出身で、斎藤道三に仕えていた武士でした。弘治2年(1556)4月20日、斎藤道三が戦死したことがきっかけで、美濃国から東国を目指し、日野へ移住してきたといわれています。

 当時の日野は小田原北条氏の支配を受けており、滝山城主北条陸奥守氏照は多摩地域の開発を積極的に進めていました。佐藤隼人は北条氏照から許可を得ると、罪人を使役して日野用水を開削しました。谷地川と合流させて上・下堰堀を作り、のちに実収三千石といわれた日野本郷の基礎が作られたのです。

 その後隼人は、元亀元年(1570)、北条氏照の命により造られた甲州街道の前身ともいわれる街道の建設に力を尽くしています。慶長10年(1605)、日野が宿場に指定された時には日野宿の問屋兼名主となり、明治初期まで子孫がその役をつとめていました。 

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