火事の多かった日野宿‐消防の記憶

日野宿には、嘉永2年(1849)正月18日の大火や明治26年(1893)の大火など、幕末、明治期だけでも宿内に甚大な被害をもたらした火災の記録が残されています。

ここでは日野宿の火事/火災の痛ましい記憶を後世に伝えるために、昭和初期から平成初期における防火の取り組みや火災発生時に活躍する消防団の取り組みなどを残された写真や映像で紹介します。

なお、小島茂雄著の『四谷のむかし』によると、「日野に始めて消防組ができたのは、明治25年(1892)3月金子橋で鉄製のポンプが購入されたことがキッカケとなった。翌26年2月、仲町から下町にかけ大火事があり、その後、下町で新式のポンプが購入され、大正の初めごろまでに、日野には万願寺を第一部とし、東光寺を第十部とした消防組ができた。四谷の消防組は大正3年(1914)にポンプが整備され、第九部として発足している。その後、豊田、堀之内、(新井・石田)、(宮・上田)、(下田・万願寺)の五部が併合され、日野町の消防組は十五部となった。」と記されています。

消防団、消防小屋、火の見櫓、消防ポンプ、消防車、旧消防署などの写真

映像で見る消防団

日野町消防団出初式と仲町消防団消防訓練 昭和30年代 | 日野宿発見隊

日野第一小学校で開かれた日野町消防団出初式と仲町消防団の消防訓練を日野市在住の池田孝行さんが撮影した映像です。前半の出初式では日野第一小学校の旧校舎や大昌寺の…

火事の記録

内入地区の火事 昭和20年代中頃
東光寺の米軍機墜落による火事 1955

昭和30年(1955)10月9日午前9時20分、日野町4075(現栄町四丁目23-1)の農業福島孝之方の畑に立川基地のB26型爆撃機が墜落、5棟173坪を焼き、乗員2人が死亡したといいます。<読売新聞10月9日付け夕刊><朝日・毎日・読売新聞10月10日付け>報道参照。

仲町の普門寺の火事 2014

平成26年(2014)2月8日(土)未明から降り出した雪は記録的な大雪となりました。1月11日に火災にあった普門寺に降り積もる雪がなんとも物悲しく映りました。

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