日野宿を走った、飛んだ乗り物
大正、昭和の日野宿を走った人力車、自転車、舟、オートバイ、荷車(大八車)、トロッコ、耕運機、自動車、ジープ、消防車、バス、オート三輪車、トラック、ブルドーザーのほか、上空を飛んだ飛行機やヘリコプターなどの乗り物を写真と映像で紹介します。
なお、鉄道関係は以下の項目をご覧ください。
人力車、自転車、舟、船、オートバイ、荷車(大八車)、トロッコ、耕運機、自動車、ジープ、消防車、バス、オート三輪車、トラック、ブルドーザー編
飛行機編
大正15年(1926)3月、立川飛行場を飛び立った複葉機から日野宿を撮影した写真を始め、戦後米軍に接収されていた立川飛行場を離着陸する米軍輸送機グローブマスター、また昭和30年(1955)、31年(1956)に相次いで発生した米軍機墜落事故の貴重な写真を掲載しています。
航空写真 1926 - 日野町
<飛行機>
馬場美代子氏所蔵
蚕糸試験場日野桑園遠景 昭和20年代初頭
稲谷順子氏・怜子氏・矩子氏・治子氏
<米軍機>
(現在:日野市郷土資料館)所蔵
米軍機墜落 1955(1)東光寺
小池亮一氏所蔵
米軍機墜落 1955(2)東光寺
小池亮一氏所蔵
立川基地を飛び立つグローブマスター 1955
松本保氏撮影
米軍機墜落 1956
矢島壽男氏撮影
米軍機墜落 1956(2)
矢島壽男氏撮影
米軍機墜落 1956(2)機体全景
古谷永治氏撮影
米軍機墜落 1956(5)機体
大崎孝氏撮影
米軍機墜落 1956(6)機体
大崎孝氏撮影
米軍機墜落 1956(7)記念写真
鈴木英夫氏撮影
米軍機墜落 1956(9)機体全景
鈴木英夫氏撮影
米軍機墜落 1956(10)機体全景
鈴木英夫氏撮影
旧日野駅付近-模型飛行機を持つ子ども 昭和30年代中頃
荻原角治氏撮影
日野坂-下り
昭和40年代初頭
<飛行機>
島崎一夫氏撮影
中央自動車道建設中 1966
<飛行機>
大貫初江氏撮影
日野図書館上空
2013-07-04
甲州街道駅入り口交差点上空
2021-02-10
映像でみる乗り物
日野宿で初めての貨物自動車
四ツ谷の故小島茂雄/著『四谷のむかし』(1998.7)28頁に次のように記されています。
「昭和5年(1930)頃、組合内の小島甚五郎さんが、日野で初めて貨物自動車を購入した。フォードT型1トン車であった。この頃はまだ荷車や馬力車が一番の運送車であったので、先駆者として名をなした。」
当時の貨物自動車には荷物の運送を手伝うための助手が付いたそうです。小島さんも冬の農閑期には助手を頼まれたとのこと。農産物の米、麦、多摩川の砂利、砂などの運搬や、日野駅に降ろされる大量の肥料、米糠、〆粕、大豆粕など、日野だけでなく、八王子の小宮村、隣接の七生村地域まで配達したそうです。
人力車
写真№1279に写っている人力車に触れて、四ツ谷の故小島茂雄さんが『四谷のむかし』(1998.7)29頁に次のように記しています。
渡邉家(屋号「中村屋」)前 - 金子橋 - 大正時代
<人力車>
渡邉良勝氏所蔵
「大正時代から昭和の初期まで、日野町の人口は五千人といわれてきた。病院はなく、内山(堀之内)、土方(石田)、日野(金子橋)、天野(四ツ谷)の医院があった。<中略> 当時人力車は昼間、日野駅に三台駐車していて、列車の昇降客を相手にする傍ら、一般からの依頼、医者の往診などに働いた。人力車を引く人を車引き、車夫と呼んだ。三人のうち一人は仲宿、二人は駅の地元の横町の人であった。」