今のように舗装されてはいない道を、むかしの人はどのようにして旅をしたのでしょうか。駕籠や馬もありましたが、多くの人はわらじをはいて歩いていました。甲州街道は、江戸時代に作られた五街道のひとつ。江戸の町から旅人は、今の新宿や府中を通り、舟で多摩川を渡り日野に来ました。

詳しい話

  • 日野宿を走った、飛んだ乗り物
    2024-11-14
    大正、昭和の日野宿を走った人力車、自転車、舟、オートバイ、荷車(大八車)、トロッコ、耕運機、自動車、ジープ、消防車、バス、トラック、ブルドーザーのほか、上空を飛んだ飛行機やヘリコプターなどの乗り物を写真と映像で紹介します。
  • 地元の人が描いた日野宿の絵図や地図【明治、大正、昭和編】
    2024-10-25
    地元の人が描いた明治から平成の日野宿の絵図や地図を紹介します。
  • もうひとつの煉瓦の話
    2024-10-25
    日野宿で日野煉瓦とは違うもうひとつの煉瓦が使われていたことがあります。それは八王子市長沼にあった大阪窯業(ようぎょう)製の煉瓦です。
  • 道路上から消えた歩道橋や標識など
    2024-10-23
    日野宿内の道路上にかつてあったもので、今は姿を消した歩道橋や標識などを紹介します。
  • 日野宿で行われた工事
    2024-09-25
    日野宿で大正、昭和、平成時代に行われた道路、橋、用水、河川工事など主な工事を写真や映像で紹介します。
  • 日野宿の坂 
    2024-08-21
    日野宿には日野台地に上がるための坂がたくさんあります。今では姿を消した坂、新たに生まれた坂など、主な坂を紹介します。
  • 渡船場道
    2024-08-08
    甲州街道が貞享元年(1684)に日野の渡しを通る道筋に変更された後、日野の渡しで多摩川を渡った旅人は現在の「新奥多摩街道入口交差点」まで南へと進み、そこで曲がり、西へ向い日野宿に入りました。
  • 日野大坂、日野坂(新坂)
    2024-08-06
    甲州街道の日野大坂は明治17年(1884)に大々的改修が行われ、四間道路となりました。また新しい日野大坂(駅の西側)は昭和7年(1932)頃失業対策事業として新設され、昭和11年(1936)頃コンクリート補装道路になりました。
  • 日野宿に残る古い道標
    2024-07-07
    日野宿に残る古い道標を紹介します。
  • 甲州道中日野宿
    2024-06-23
    日野宿は、内藤新宿、高井戸、布田五宿、府中に続く宿場です。両隣の府中宿や八王子宿ほどの大きさではないものの、多摩川の日野の渡しの経営・管理という重要な役目を担う特別な宿でした。
  • 問屋場・高札場
    2024-06-23
    日野図書館のある場所は、江戸時代には問屋場・高札場があったところです。問屋場は日野宿で最も重要な施設でした。
  • 日野宿の地名
    2024-06-09
    日野宿の町場と枝郷の地名とおおよその位置関係を紹介します。「まちかど写真館 in ひの データベース」にも展開できます。
  • 甲州街道の歴史
    2024-04-25
    徳川家康が江戸に幕府を開いた時、五街道と呼ばれる江戸から放射線状に地方と結ぶために五つの道を定めました。 甲州街道はそのうちの一つです。
  • 初期の甲州街道
    2024-04-25
    甲州街道は長い歴史の間に、その道筋を変えています。 貞享元年(1684)に日野の渡しを通る道筋に変更されまで、開設から80年間あまり使われた道が残っています。