今のように舗装されてはいない道を、むかしの人はどのようにして旅をしたのでしょうか。駕籠や馬もありましたが、多くの人はわらじをはいて歩いていました。甲州街道は、江戸時代に作られた五街道のひとつ。江戸の町から旅人は、今の新宿や府中を通り、舟で多摩川を渡り日野に来ました。

詳しい話

  • 日野宿の名木今昔
    2024-05-25
    かつては日野宿のどこからも見え、旅人の目印ともなったケヤキや松の大木、街路樹として人々に潤いを与えてくれたプラタナス、庭先に植えられ今も実を結ぶ柿木など、日野宿に生きた、あるいは今も生き抜く名木を紹介します。 ケヤキ/欅 №1282八坂神社の裏の川 ‐ 絵葉書 大正期佐藤元雄氏所蔵 №0105八坂神社 1951松本保氏撮影 №0061加組少年団 1941山本豊氏所蔵 №0482出征祈願 1940 - 松本季男氏所蔵 №1114八坂神社 ‐ ケヤキの大木 昭和30年代T.S氏撮影 №0538八坂神社境内 1976 - 子ども安西清氏所有 №0651現日野一小付近 昭和10年代中頃 下佐藤家のケヤキ小池亮一氏所蔵 №1174大昌寺坂遠景 昭和30年代大昌寺山のケヤキ戸高要氏撮影 №1530多摩川鉄橋から日野駅方面へ向かう中央線列車 1970天野医院のケヤキ市川正浩氏所蔵(現日野市郷土資料館) №0057馬場岩松氏葬儀 1967(4)大昌寺馬場一衛氏所蔵 №0347旧一中跡地か一中新校舎を望む 1963頃日野一中のケヤキ猪鼻洋助氏撮影 №0164蚕糸試験場日野桑園のケヤキ松本保氏撮影 №0157四ツ谷薬王寺 1977松本保氏撮影 №0175大昌寺山門 1950年代前期志村章氏撮影 №0276日野小学校創立80周年記念プール 1953古谷萌氏所蔵 №1454薬王寺の樹木 1984後藤昭夫氏撮影 №0161蚕糸試験場日野桑園イチョウ並木 1978松本保氏撮影 №0179甲州街道南側の町並み 1962頃戸高要氏撮影 松 №1686日野御野立所ニ於ケル御統監殿下 1921傘松横川裕一氏所蔵 №1700御野立場の傘松前で撮られた記念写真 1921頃三田晴道氏所蔵 №1588御野立場の傘松 1921頃谷享司氏所蔵 №1561日野台御野立場の傘松 絵葉書 大正時代横川裕一氏所蔵 №0277宝泉寺山上 1956 枯れた後の傘松昭和30年代志村章氏撮影 №0133お茶屋の松 1951 松本保氏撮影 №0087御駒止之松の碑 1956志村章氏撮影 №0414御野立記念碑 昭和10年代志村章氏撮影 柿木 №0405雪の日-柿木 昭和30年前後横町三田家の柿木安西実氏撮影 №1326旧岩澤泰宏宅の柿木 1970頃岩澤泰宏氏撮影 0733河野家の柿木(手前右) 昭和30年代初頭 河野正夫氏撮影 松本保家の柿木2007-06-25 松本保家の柿木2007-11-22 青桐/アオギリ №1011馬場謹治氏町葬 1942(2)葬列馬場商会の青桐馬場嘉徳氏所蔵 №1177日野小学校新校舎正面-絵葉書 大正時代初期日野尋常高等小学校の青桐佐藤元雄氏所蔵 №0137日野中学校創立5周年秋季大運動会 1952(3)仮装行列 日野一中の青桐松本保氏撮影 №1169日野一中の青桐戸高要氏撮影 №0186日野小学校跡の青桐 1963頃日野一中の青桐(移転後)戸高要氏撮影 №0002馬場商会の青桐 1958 ‐ 金子橋馬場一衛氏撮影 №0041馬場商会 の青桐 1958馬場一衛氏撮影 №0020理容やまもとの青桐 1957頃 - 森町山本豊氏撮影 プラタナス №0233大屋(志村家屋号)のプラタナス(現役)昭和20年代志村章氏撮影 №0083大屋(志村家屋号)のプラタナス(現役) 1968志村章氏撮影 №1633大屋(志村家屋号)前のプラタナス(現役) 1979品川明雄氏撮影 №0308横町吉野屋(安西家屋号)前のプラタナス  1951頃安西喜代治氏撮影 №1426横町吉野屋(安西家屋号)前のプラタナス 昭和30年代安西喜代治氏撮影 №1427横町吉野屋(安西家屋号)前のプラタナス  1963頃 安西喜代治氏撮影 №0647川崎街道入口佐野家のプラタナス 昭和10年前後内山文子氏所蔵 №0648川崎街道入口佐野家のプラタナス 1956内山文子氏所蔵 №0805川崎街道入口付近池田工務店のプラタナス 1978加藤善巳氏撮影
  • 日野宿を走った、飛んだ乗り物今昔
    2024-05-24
    大正、昭和の日野宿を走った人力車、荷車(大八車)、耕運機、自動車、ジープ、消防車、バス、トラックのほか、上空を飛んだ飛行機などの乗り物を紹介します。
  • 日野宿の蔵今昔
    2024-05-22
    日野宿内に残る主な蔵を紹介します。
  • 問屋場・高札場
    2024-05-19
    日野図書館のある場所は、江戸時代には問屋場・高札馬があったところです。問屋場は日野宿で最も重要な施設でした。
  • 日野宿の地名
    2024-05-17
    日野宿の町場と枝郷の地名とおおよその位置関係を紹介します。「まちかど写真館 in ひの データベース」にも展開できます。
  • もうひとつの煉瓦の話
    2024-05-16
    日野宿で日野煉瓦とは違うもうひとつの煉瓦が使われていたことがあります。それは八王子市長沼にあった大阪窯業(ようぎょう)製の煉瓦です。
  • 甲州街道の歴史
    2024-04-25
    徳川家康が江戸に幕府を開いた時、五街道と呼ばれる江戸から放射線状に地方と結ぶために五つの道を定めました。 甲州街道はそのうちの一つです。
  • 初期の甲州街道
    2024-04-25
    甲州街道は長い歴史の間に、その道筋を変えています。 貞享元年(1684)に日野の渡しを通る道筋に変更されまで、開設から80年間あまり使われた道が残っています。
  • 渡船場道
    2024-04-25
    甲州街道が貞享元年(1684)に日野の渡しを通る道筋に変更された後、日野の渡しで多摩川を渡った旅人は現在の「新奥多摩街道入口交差点」まで南へと進み、そこで曲がり、西へ向い日野宿に入りました。
  • 甲州道中日野宿
    2024-04-25
    準備中