うなぎを食べない四谷
多摩川に近い四谷地区。長い間多摩川の洪水の危険にさらされて来たここには「うなぎ」を食べてはいけないという習慣が今でも伝えられています。
昔、名産品だった鮎をはじめ、多摩川ではたくさんの川魚が穫れました。もちろん「うなぎ」もです。これらの魚は貴重なタンパク源だったはずです。
では、どうして四谷では「うなぎ」を食べてはいけないのでしょうか。
理由は多摩川が洪水を起こしそうになった時、「うなぎ」が堤にできた穴を埋めて、崩れるのを防いでくれたから、とか、地区の鎮守でもある日野宮のご本尊が木造菩薩立像(伝虚空蔵菩薩像)で、その召使いが「うなぎ」であるからとかいろいろな説が伝えられています。
今ではたくさんの家が並ぶ四谷です。全ての四谷の人が「うなぎ」を食べないわけではありません。
四谷という地名の由来は、「4軒の家だけがあった」、つまり「四つ屋」から名がついたという話が有力です。「うなぎ」を食べない風習は、その当時から四谷に住み続けている家に伝えられています。
おじいさん、おばあさんから、「うなぎは食べてはいけない」と教えられて育ち、それが繰り返されて、今でも「うなぎ」を食べない決まりは守り続けられています。
ある時、四谷の人たちが、静岡へみんなで旅行した時のこと。浜名湖で食事となりました。浜名湖といえば「うなぎ」が特産。出されたうなぎの蒲焼きを前にして、「天ぷらに代えてもらった」、という話です。
四ツ谷(四谷)今昔
四ツ谷の多摩川鉄橋(橋梁)付近です。この辺は淵になっていて深みがありました。小河内ダムができる前はもっと水量もあり流れも速かったため、昭和のはじめごろまで、夏から秋にかけての大雨で、多摩川が増水すると、決まったように四ツ谷下の堤防が決壊したそうです。蛇籠(じゃかご)でできた土手は嵐がきたらひとたまりもなかったことでしょう。うなぎの霊力を願わずにはいられないのもわかります。
一方、夏には涼をとるには絶好の場所だったようですが、命を奪われた幼い子たちもかなりいたと聞きます。昭和28年(1953)に日野小学校にプールができたのも、こうした犠牲者を生まないためだったといいます。