よそう森
日野駅から東光寺方面を結ぶ道の歴史は古く、江戸時代の始め、甲州街道ができる前から使われていたと言われています。
八王子の滝山を通り、奥多摩を越えて甲州方面との行き来に使われていたと考えられており、古甲州街道と呼ぶこともあります。
今でも、この都道(169号)を昔から住む人たちは「東光寺道」とか、「拝島道」と呼んでいます。
昭和30年代まで、日野駅周辺には田んぼが広がり、都内でも有数な米処として知られていました。
江戸時代には、「多摩の米蔵」と言われるほどでした。
都道の幅が拡げられる前、道に沿って小高い丘と杉林あり、お稲荷さまが祀られていました。
その祠の前で、地域の人たちはその年の米の収穫高を予想したことから、この丘と杉林を「よそう森」と呼ぶようになったということです。
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