金子橋

馬場商会前に建つ金子橋のモニュメント(石碑)
金子橋モニュメント(石碑)

馬場元基氏提供
№0002
馬場商会 1958
馬場一衛氏撮影

日野本町4丁目のガソリンスタンド馬場商会の前に、「かねこばし」と銘が入った擬宝珠付きの橋の欄干を模したモニュメントが建っています。「かねこばし」は「金子橋」のことで、『甲州道中分間延絵図』の日野宿を見ても確かに水路と橋らしきものが描かれ「金子橋」という名も記されています。この橋のことを後世に伝えたいとの思いで、平成8年(1996)7月、金子橋有志一同でこのモニュメント(石碑)を建てたそうです。

『甲州道中分間延絵図』に描かれている
金子橋

『金子橋自治会今昔』(金子橋自治会 1992年4月)によれば、馬場商会の道を挟んだ反対側に、昔、金子さんという人が住んでいたそうです。その金子さんの家の方に向かって甲州街道を横切るように日野用水が流れ、その用水上に橋が架かっていた。その橋を土地の人は金子橋と呼んでいたことから、この辺りを金子橋というようになったといいます。

昭和7年(1932)から8年にかけて行われた道路の拡幅工事の際に、この金子橋の橋桁は取り外され欄干も無くなってしまいましたが、橋桁として使われていた御影石の立派な石材は、後に馬場商会の母屋の敷石や森屋で利用されたということです。

江戸時代の日野宿内は上宿、仲宿、下宿から構成されていました。けれども、いつしか上宿とは言わずに、森町、横町、金子橋、そして枝郷の北原が加わり「加組」として呼ばれるようになり、今日もこの4地区により祭りの連合組織を構成しています。八坂神社の鳥居を入ってすぐ両側にある石灯篭に「加組」の銘があります。どうして「加組」というのか地元の人に尋ねるのですがはっきりとはわからないそうです。

加組の奉納した石灯籠
明治20年?の刻印(確認中)

甲州街道の拡幅工事

昭和7年(1932)から8年にかけて甲州街道の日野宿内北側部分の拡幅工事が行われました。

写真は拡幅工事が行われていたころと工事完了後の写真です。歩道に敷かれたのは大阪窯業製の煉瓦でした。昭和30年代までその姿が見られました。

渡邉家(屋号「中村屋」)長屋門前  1933  金子橋
真野泰久氏所蔵
甲州街道北側 1936 ‐ 渡辺家(屋号「中村屋」)前 ‐ 金子橋
真野泰久氏所蔵

参考

  • 『金子橋自治会今昔』金子橋自治会 1992年4月
  • 『甲州道中分間延絵図 第二巻 府中 日野 横山 解説篇』 東京美術 1984年7月
  • 『日野本町の金子橋についての調査』小林勲 2013年12月 

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