日野宿で行われた工事

日野宿で大正、昭和、平成時代に行われた道路、橋、用水、河川工事、土地区画整理事業、住宅建築など主な工事を写真や映像で紹介します。

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道路工事☞ 四ツ谷新道工事☞ 甲州街道の拡幅工事☞ 日野橋拡幅工事
☞ 中央自動車道(中央高速)の建設工事☞ 映像で見る中央自動車道建設工事☞ 市役所通りの建設工事
☞ 国道20号日野歩道トンネル☞ 四ツ谷立体☞ 甲州街道日野バイパス
土地区画整理事業の工事☞ 日野駅周辺の土地区画整理事業
河川工事☞ 日野用水の工事☞ 多摩川の河川工事
建物の建築工事/建設工事☞ 宮崎製材木工所新工場の建築工事(仲町☞ 松本保宅の新築工事(北原)☞ 土方安蔵宅の新築工事(日野万願寺)
☞ 新築中の島﨑宅(現新町)☞ 乙津家の新築工事(森町)☞ 中山家の建て前(棟上げ式/上屋敷)
☞ 安西清氏生家の建替え(横町)
地鎮祭☞ 北原の貯水槽建設地鎮祭☞ 移住地の地鎮祭(上屋敷)☞ 寿司勝建設のための地鎮祭(横町)

道路工事

四ツ谷新道工事

中央線下の切通し工事も含めた新道建設が大正9年(1920)12月1日に始まり、翌年の大正10年3月11日に完成します。工事請負は立川の大丸組でしたが、地元の男衆も工事に駆り出されたそうです。

☞詳細は「大正・昭和に廃止になった中央線の踏切」をご覧ください。

甲州街道の拡幅工事

昭和7年(1932)から昭和8年(1933)にかけて、日野宿内の甲州街道北側の拡幅工事が行われました。歩道には八王子市の長沼にあった大阪窯業八王子工場製のレンガが敷かれました。

なお、この拡幅工事とともに昭和8年度の東光寺坂道・大昌寺坂道・石田道の改修は、町村債の発行や国庫・府の補助金によって、昭和7年度から9年度にかけて行われた救農土木工事の一環として行われたものでした。

参照
  • 日野大坂
  • 清野敏明 「甲州街道の煉瓦敷き歩道ー社会状況から出現を探るー」 『日野の歴史と文化』第46号 pp.36-43 1997
日野橋拡幅工事

高度成長に伴う交通量の増大への対応と昭和39年(1964)10月開催の東京オリンピック大会への対応も含め、大正15年(1926)8月に開通し約40年が経った日野橋の拡幅工事が行われたときの写真です。このときには日野橋の下流側に仮橋が架けられました。

それから半世紀が経った令和元年(2019)10月12日に襲った台風19号により一部橋脚が破損し、その後復旧工事が行われましたが、令和2年(2020)11月よりおよそ一世紀ぶりに橋の架け替え工事が始まりました。今回は日野橋の上流側に仮橋が架けられています。

中央自動車道(中央高速)の建設工事

中央自動車道の調布-八王子インター間が完成したのは昭和42年(1967)12月でした。この間の建設工事の様子を地元の人が撮った写真と映像です。

映像で見る中央自動車道建設工事
日野地区中央高速道路建設見学 昭和40(1965)年8月撮影 | 日野宿発見隊

昭和40(1965)年8月、建設中の中央自動車道日野市区間(現神明)を家族で見学に行ったときに撮影された映像。日野第一小学校の鉄筋校舎や大昌寺坂などが見えます。また、後…

市役所通りの建設工事

かつて日野宿の南側に広がる神明上の台地に出るための大動脈だった大昌寺坂は、昭和50年代中ごろに市役所通りの坂が整備され、江戸時代から続いた歴史にピリオドを打ちました。

国道20号日野歩道トンネル

昭和63年(1988)7月2日に開通した国道20号日野歩道トンネルです。日野駅高架下の写真は西側から撮影し、もう1枚はトンネルを日野駅側(東側)から撮影したものです。

国道20号日野歩道トンネル竣工
1988-07-02
四ツ谷立体

平成24年(2012)3月20日、中央線の下を抜けて日野本町と栄町(四ツ谷、東光寺)東西両地区を結ぶ「四ツ谷立体」が完成しました。

これまでこの地区には、大正10年(1921)3月11日に完成した「四ツ谷ガード下」しかありませんでしたが、このアンダーパスが完成したことで交通事情が一変しました。

四ツ谷立体
2013-11-23
甲州街道日野バイパス

上田の渡辺毅さんが火の見櫓から西方面を撮った写真です。左手に上田園の梨園。右手奥の台地に日野市役所庁舎が見えます。手前建設中の道路は平成19年(2007)4月、甲州街道のバイパスとして開通しました。

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上田の旧火の見櫓付近から西方面の眺め 2000年初頭
渡辺毅氏撮影

土地区画整理事業の工事

日野駅周辺の土地区画整理事業

昭和40年前後から進められていた土地区画整理事業のなかの日野駅西側の変化をとらえた写真です。

旧甲州街道の道筋にあった日野駅南の踏切が昭和56年(1981)12月3日をもって閉鎖され、また同年12月6日には日野駅ホーム下に東西連絡道路も開通しました。

河川工事

日野用水の工事

日野宿に豊かな富を与えてくれた日野用水も、高度経済成長期にはあたかも排水溝のような扱いをされた時期がありました。

日野駅東から川崎街道方面に流れる通称「裏の川」(宿裏堀)もそうした流れのなかで暗渠となりました。

しかしそれから30年ののち、経済もかつての勢いを失い時代も大きく変化し、なんと改めて用水が開渠されるという歴史をたどっています。

多摩川の河川工事

昭和の初めごろまでは、夏から秋にかけての大雨で多摩川が増水すると、決まったように四ツ谷下の堤防が決壊したそうです。普段は恵みを与えてくれる母なる多摩川ですが、時折猛威をふるう多摩川でもありました。

写真は昭和30年ごろに襲った台風による被害を受けた多摩川鉄橋付近の堤防の修復工事の様子です。

建物の建築工事/建設工事

宮崎製材木工所新工場の建築工事(仲町)

昭和30年代、仲町の宮崎製材木工所(現マルセ)の新工場の建て前(棟上げ式)の写真です。 建物の裏(東)側が川崎街道です。

松本保宅の新築工事(北原)

昭和38年(1963)4月から5月にかけて行われた松本家の茅葺屋根の旧宅の取り壊しから「たてまい(上棟式)」までの一連の写真が残されています。

☞詳細はこちらをクリックしてください。

松本家旧宅
1963-04
たてまいが終了した松本家新宅
1963-05
土方安蔵宅の新築工事(日野万願寺)

東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)、日野万願寺の土方安蔵宅の新築工事風景です。旧甲州街道沿いの土方家は梨農園を営んでいました。

新築中の島﨑宅(現新町)

昭和30年代初頭、現新町の島﨑家の新築工事中の様子です。この辺の土地に初めて引っ越してきた島﨑家でしたが、家の周りはまだ桑畑で、まずその桑畑の開墾から取りかからなければならなかったそうです。

乙津家の新築工事(森町)

昭和30年代初頭、森町の乙津宅新築のための基礎工事が始まった頃の写真です。写真後方に中央線の電信柱が見えます。

中山家の建て前(棟上げ式/上屋敷)

昭和30年代、上屋敷の中山家の昔ながらの建て前(棟上げ式)の様子です。「幣串」「扇子車」「破魔弓」「破魔矢」が飾らています。

家の前はトウモロコシの畑でした。

安西清氏生家の建替え(横町)

昭和28年(1953)年頃、横町の安西家の建て替えの様子です。

地鎮祭

 北原の貯水槽建設地鎮祭

昭和30年代、北原の松本保宅前の道は消防車が入れないほど狭かったので、共同の貯水槽を建設するために執り行われた地鎮祭の時の写真です。

移住地の地鎮祭(上屋敷)

戦時下の昭和18年(1943)、国策により相模湖ダム建設のため神奈川の勝瀬部落(旧藤野町、現相模原市)から上屋敷(現栄町)に移住を余儀なくされた家族のため、移住予定地で執り行われた地鎮祭の様子です。

寿司勝建設のための地鎮祭(横町)

昭和30年代初頭、日野駅近くの「寿司勝」建設のための地鎮祭の様子です。後ろに写っているのは河野家の近くにあった静美荘(アパート)です。

真野保氏によれば、昭和20年代にこの静美荘で米軍兵士と日本人女性による心中事件があり、その際に警察から依頼され現場写真を撮影したことがあったそうです。

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