地元の人が記録した日野宿【戦後編】

『身近に感じる「武蔵・多摩・風塵録」自叙伝』 高木昂/著 高木昂 1980.10

歯科医でもある髙木昂先生はこの著書について、身近に感じる思いのままを記録して、昔の古い歴史的な事象を遡及していって仕立てたもので、郷土の血につながる思いの歴史としてまとめたものだと記しています。身近とは吾いのちの故郷=日野のこと、そして多摩のことや武蔵のこと、それにつながる古いこと等と述べているように広範囲にわたる項目が掲載されています。

「武蔵・多摩・風塵録」自叙伝

『私たちの町 仲町』 仲町こども会/編 昭和五十五年度仲町こども会 1981.3

仲町こども会が町内のこどもたち向けに町内の歴史から始まり、「いいつたえ」やでき事、年中行事、あそび、仲町の家の数についてまとめたものです。巻末に大正から昭和はじめごろの仲町の地図が付いています。

私たちの町 仲町

『日野宮神社紙 拝殿再建記念』 小島茂雄他4名編集委員/編 日野宮神社氏子会 1985.9

拝殿再建記念として、氏子である小島茂雄氏他4名の編集委員のもとにまとめられた日野宮神社の歴史です。日野で一番古いといわれるこの神社ですが、平成5年(1993)までは四谷自治会館(元の四谷阿弥陀堂)で長い間大切に奉られてきた虚空蔵菩薩など3体の仏様についても紹介されています。

日野宮神社誌
拝殿再建記念

『金子橋自治会今昔』 金子橋自治会/編 金子橋自治会 1992.4

金子橋自治会が金子橋の由来や金子橋町内についてまとめたものです。金子橋という地名の由来、大正5年(1916)当時に住んでいた人の呼名と屋号について、職業について、また同時に金子橋地区町内の地図も掲載しています。

金子橋自治会今昔

『八坂の杜から-多摩郷土史研究-』 土淵英夫/著 土淵あい子 1998.5

大正6年(1917)生まれ。八坂神社の三代目の宮司、土淵英夫さんが日野の郷土についてまとめた資料です。日野の歴史、地名、日野の昔話など多岐にわたってまとめられています。郷土史ライブラリーは日野の歴史をわかりやすく解説してくれています。日野宿全般のことを調べようと思ったとき最初に手にしたい資料のひとつです。なお土淵氏は日野史談会会長や日野市史編纂委員も歴任されていました。

八坂の杜から

『四谷のむかし] 小島茂雄/著 小島茂雄 1998.7

大正2年(1913)四ツ谷生まれ。元警察官で、その後保護士として地域に貢献されていた小島茂雄さんが村の歴史と村のくらし、多摩川、村の信仰と娯楽についてまとめられたものです。その他、青年団活動や日野の消防の歴史についても触れられています。関東大震災のときの様子、うなぎを食べない四ツ谷の風習のこと、また戦時中の村の様子など、残された記録をもとに細かく紹介しています。また明治10年(1877)頃の四ツ谷周辺図も掲載されています。

『開山四百年記念誌 三宝』 日輪山薬王寺/編 日輪山薬王寺 2009

この本は四谷(四ツ谷)の薬王寺の開山四百年を記念して刊行されたものです。日野本郷といわれた時代から戦前・戦後の四谷に刻んだ薬王寺の歴史を知るうえで大変役に立つ資料です。

開山四百年記念誌 三宝

『八坂神社と日野 遷都四百四十年記念』 土淵貞房/著 土淵眞佐子/編 八坂神社 2010.9

八坂神社遷座440年記念として、禰宜の土淵貞房さんにより作成された記念誌です。八坂神社の現況、「鎮守 牛頭天王社」と日野、日野市と八坂神社、八坂神社の歴史年表と続きます。巻末に参考文献もついています。特に総檜造りで200年以上もたつ本殿の彫り物など、普段は見られない見事な宝物がふんだんに掲載されています。

八坂神社と日野

『八坂神社初代宮司 土淵英 日野の近代化に命を懸けた早世の人』 土淵眞佐子/著 土淵眞佐子 2016.2

八坂神社の初代宮司、土淵英(はなぶさ)について子孫で現宮司の土淵眞佐子さんがまとめたものです。日野宿の近代化を語るとき土淵英と日野煉瓦を抜きには語れません。130年以上も多摩川橋脚(上り)を支え続ける日野煉瓦こそ、日野の近代化を進めようと邁進し、道半ばで倒れた土淵英の思いが込められた遺産そのものなのです。

八坂神社初代宮司 土淵英
日野の近代化に命を懸けた早世の人

『北原村ととんがらし地蔵』 北原とんがらし地蔵講講元松本保/著 北原とんがらし地蔵講 2017.2

北原のとんがらし地蔵講講元の松本保さん(昭和7年生まれ)がとんがらし地蔵建立250年を記念して、北原村の歴史ととんがらし地蔵についてまとめたものです。松本さんは小西六に勤務していた関係で古くから地元の様子を撮影していました。今回この本の中にも松本さんが写された貴重な写真が多数掲載されています。

北原村と北原とんがらし地蔵

日野本町の金子橋についての調査 小林勲/著 2013.12

「自治会報「金子橋 今昔」について」「金子橋の名前の由来」「金子家について」「文献にある金子橋」についての小林さんの調査報告書です。

日野本町の金子橋についての調査

添付資料として、「金子橋自治会報今昔 表紙」「もとのかねこばし」「金子橋町内地図大正5年頃」「金子橋の橋桁と勾欄」「金子橋の住宅地番図と金子家」「甲州道中分間延絵図 日野宿」「幕末多摩日野宿概略図」「甲州街道日野 金子橋のイメージ図」を掲載しています。

『わたしたちのかみだ』 倉澤兆一/著 2023.12

元警察官の倉澤兆一さんが上田・宮地区についてまとめられた資料です。特に巡査駐在所や日野警察署関係の情報は日野宿における警察関係の歩みを知るうえで貴重な情報となっています。

なお、倉澤さんは宮駐在所に勤務時に、『いしずえ(宮駐在所広報紙)』(1975.5)を発行し、地域への情報発信にも努めれれていました。また、『甲斐源氏武田氏滅亡 八王子に眠る二人の姫さま』2022.8)を刊行されています。

わたしたちのかみだ

『満願荘自治会の変遷』 満願荘自治会/編 満願荘自治会 2011

満願荘自治会の創設、変遷と活動状況をまとめた資料です。

この記録集をまとめた吉平さんによれば、「松林シャッター倉庫の昔の議事録、会報と地区センターホールのキャビネットの最近の分から抜粋、集約した」と記していますが、戦後の自治会活動の歴史をひもとくうえで貴重な資料です。

満願荘自治会の変遷

戦前・前後間もない発足当時の様子を次のように記しています。

昭和14年(1939)10月5日頃 日野市が未だ町だった頃、常安寺、東常安寺部落の地番1077、7773を中心に日野自動車株式会社(当時、東京自動車工業(株)が社宅を設立し万願荘住宅と命名(日野台住宅等も同様に建設)

昭和15年(1940)〇月〇日 戦後日野重工→日野産業に社名変更の頃にこの社宅を販売する事に決定。個人が買い取った場合の対応(含、自治会)等、町内(部落)会の活動が活発となる。

昭和23年(1948)2月11日 個人の買取が進む中、それ迄の町内会の世話役だった大熊六助、成島忠一氏らの働きで「万願荘自治会」が正式に発足した。

以下、これまでの自治会の変遷を詳細に掲載しています。
巻末に昭和23年2月11日、万願荘自治会結成当時と思われる萬願荘住宅略図を掲載しています。

『日野の歴史と文化』総目次

日野史談会発行の『日野の歴史と文化』第50号に掲載された総目次をもとに作成したものです。日野市立図書館で所蔵していますので、現物をお借りになりたい方は巻号一覧から詳細へジャンプし、各巻号見出しをクリックし在庫状況等をご確認ください。

『聞き書き日野の昭和史を綴る』 日野の昭和史を綴る会/編 日野中央公民館 1994

『日野市旧桑田村の地名』日野の昭和史を綴る会/編 日野の昭和史を綴る会 2012.4

日野市旧桑田村の地名

『私たちの町「宮」散歩ガイドブック』 今尾恵介/文 宮自治会/発行 2022.03.01

市内在住地図作家の今尾恵介氏による「宮」地区の歴史と地理の案内書です。

「地形から見た宮(旧宮地区)」「宮の略歴ー江戸時代まで」「明治初年の地租改正と小字の設定」「明治町村制から昭和初期まで」「工業都市への萌芽ー昭和10年代」「戦後の急速な宅地化と区画整理」を掲載。昭和30年(1955)頃、昭和46年(1971)頃、平成5年(1993)頃、令和3年(2021)の地形図と、昭和22年(1947)11月14日、昭和36年(1961)8月31日、昭和49年(1974)12月21日、平成29年(2017)8月24日の各時期に撮影された航空写真も掲載しています。

なお、現在の宮自治会は大字宮に加え、大字上田の一部、万願寺三、四、六丁目の一部、大字日野の一部を含みます。

私たちの町「宮」散歩ガイドブック

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