飯綱権現社
地蔵堂の隣、一段高くなった所に飯綱(いずな)権現社が祀られています。
明治21年(1888)、甲武鉄道が建設されるまでは日野駅から見える丘の上、百数十段の階段を上がった場所に鎮座していました。さぞかし展望が良かったに違いありません。
「飛び飯縄伝承」の伝説や棟札からも高尾山と関係が深いと言われており、地元では「いずなさま」と呼ばれています。
甲武鉄道の建設により現在地に遷座された際、基礎部分に「日野煉瓦」が使用されました。関東大震災により改修されましたが、今でも「日野煉瓦」を見ることができます。
飯綱権現社の幟旗
どうしても読めなかった幟籏でしたが、いただいた由緒書きによれば、「鎮守御祭礼」の「礼」は旧字でした。この幟旗を保管する木箱には「天王宮御旗 四流 文政十丁亥歳八月吉日新添横町 氏子中」と記されています。文政10年は西暦1827年です。今から200年近くも前に作られたものです。
飯綱権現社今昔
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