日野宿の名木古木

かつては日野宿のどこからも見ることができ、旅人の目印ともなったケヤキ(欅)や松の大木、街路樹として人々に潤いを与えてくれたプラタナス、校庭に植えられ子どもたちを見守ってきた青桐(アオギリ)、庭先に植えられ今も実を結ぶ柿木など、日野宿に生きた、あるいは今も生き抜く名木古木を紹介します。

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☞ ケヤキ/欅☞ ムクノキ/椋/椋木☞ ☞ 楓/カエデ/紅葉/モミジ
☞ 柿木☞ 青桐/アオギリ☞ プラタナス☞ 桜/サクラ
☞ イチョウ/銀杏☞ イトヒバ/糸檜葉☞ 樫/樫木/カシノキ☞ ヒマラヤ杉
☞ 梨/ナシ☞ ムクロジ☞ 榧木/カヤ☞ スタジイ

ケヤキ/欅

八坂神社のケヤキ(森町)

うっそうと繁ったケヤキの大木の姿は、まさに日野宿の鎮守の杜そのものでしたが、近年、寿命を迎えて姿を消したケヤキもいくつかあります。

大昌寺のケヤキ(金子橋)

大昌寺のうっそうとしたケヤキの杜も落雷で枯れたり、用水整備のために伐採されたりと、次第にその数を減らしてきています。

大昌寺山のケヤキ【消滅】

日野宿内のどこからでも見えた大ケヤキでしたが、中央自動車道の建設のため姿を消しました。

下佐藤家のケヤキ(仲町)【消滅】

下佐藤家のケヤキには次のような逸話があります。

「大正15年(1926)2月11日、下佐藤の庭のけやきの大木(樹齢約400年、高さ35m位)に、立川にあった飛行五連隊所属の小林伍長、今泉軍曹がそうじゅうする飛行機が、あやまってこの大木の枝に左主翼をせっしょくさせ、近くの田上軍次さんの家についらくしてしまいました。

このとき、庭で遊んでいた三才になる女の子が、事故にまきこまれ不幸にも死亡しました。

二人のそうじゅう士はケガですみましたがついらくしてもエンジンが回っていたので、金子橋の馬場自動車屋さんのおじさんが来て、エンジンを止めたといいうことです。

この場所は、現在一小正門前の東さんの所あたりです。この頃は、飛行機が非常にめずらしい時でしたから、見物人が大勢集まって来て、大さわぎだったということです。 」(『私たちの町仲町』より)

薬王寺のケヤキ(四谷/四ツ谷)【消滅】

うっそうとした薬王寺の杜は動物たちのサンクチュアリでしたが、昭和の時代の終わりとともにすっかり姿を変えてしまいました。

特に、数本あったケヤキの大木が枝を落とされたものの、しばらくそのままだったので、ああ残されるのだなと安堵していたら、いつしかすべて伐採されたのには、郷土史家の田中紀子さんもなげかけられていましたが、地元の人たちにとってもかなりショックだったようです。

№1197
矢島家から薬王寺方面 1988
<ケヤキ/イチョウ>
矢島壽男氏撮影

平成5年(1993)境内の樹木は夫婦イチョウを残し、ほとんど切り倒されてしまいました。後に残った大ケヤキの切り株はしばらくの間、子どもたちの絶好の遊び場となりました。

蚕糸試験場日野桑園のケヤキ

昭和初期に開場された蚕糸試験場日野桑園ですが、当時植えられたケヤキも一世紀近く経ち見事に成長しています。しかし、この十数年の間にふれあいホールなどの施設整備のために、他の樹木同様かなり伐採され、その数もだいぶ減ってきています。

日野宮神社のケヤキ(四谷/四ツ谷)
天野医院のケヤキ(四ツ谷)【消滅】

四ツ谷の天野医院のケヤキです。周りが田んぼで遮るものがなかったのでどこからでも見える名木でした。

日野尋常高等小学校のケヤキ/日野一中跡のケヤキ(仲町)
有山家のケヤキ(下町)

有山家の屋敷林のなかのケヤキです。

佐藤旭家のケヤキ(宮)【消滅】

宮の佐藤旭家のケヤキの屋敷林です。まち歩き会のための下見で訪ねたときの写真です。残念ながらこの素晴らしい光景を二度と見ることができなくなりました。

伊藤家のケヤキ(川辺堀之内)

市民プール近くの伊藤家の洞のあるケヤキです。

甲州街道駅近くの小塚のケヤキ

まち歩き会で訪ねたときに出合った、甲州街道駅近くの住宅造成地にある小さな塚にあるケヤキ(右)です。松とともに祠を守るように幹を伸ばしていました。

令和6年(2024)6月19日(水)に改めて訪ねてみると松は途中で無くなっていましたが、ケヤキは順調に伸びているようです。

ムクノキ/椋/椋木

有山家のムクノキ(下町)

有山家の屋敷林のなかのムクノキです。

日枝神社のムクノキ(川辺堀之内)

日野宿の助郷である川辺堀之内にある日野市指定天然記念物となっている日枝神社境内のムクノキです。樹齢は300年以上と推定され、市内で最大のムクノキだそうです。

日枝神社のムクノキ解説板

御野立場の傘松【消滅】

江戸時代、旅人が日野の渡しを渡り日野宿内に向かって渡船場道を歩き始めると、右斜め方向の高台に見えたのがこの傘松だったようです。

お茶屋の松(二代目)【消滅】

日野市の東光寺地区と八王子市の小宮地区のちょうど市境付近、現在では東光寺から新旭橋を渡って小宮方面に抜ける直線道路が整備されていますが、かつては谷地川を渡ると道は左にそれ、そこから大きく右に弧を描きながら進むと、その道の中程、現在(令和5年)の富士レビオ八王子事業所の南側付近に、「お茶屋の松」といわれる枝ぶりの立派な黒松の大木が昭和50年代初頭までありました。

御駒止之松
普門寺の赤松(仲町)

普門寺の赤松です。平成26年(2014)1月11日の火災で本堂を焼失しましたが、奇跡的に助かったのがこの赤松です。

大坂上の松【消滅】
別府神社の松(宮)
甲州街道駅近くの小塚にある松

平成20年(2008)3月と平成24年(2012)年3月のまち歩き会のときに訪れた、甲州街道駅近くの住宅造成地にある松の木です。ケヤキとともに小塚の祠を守るように幹を伸ばしています。

令和6年(2024)6月19日(水)改めて訪ねてみると、この小塚の周りには住宅が立ち並び、ケヤキは元気に成長していましたが、松は途中で無くなっていました。

楓/カエデ/紅葉/モミジ

日野町役場の楓/カエデ/(仲町)【消滅】
有山家の楓/カエデ/紅葉/モミジ

カフェ花豆の室内から北側の庭園を撮らせてもらった1枚です。

日野宿本陣の楓/カエデ/紅葉/モミジ

柿木

かつてはどこの家にも柿木がありました。甘柿なら食用に、渋柿なら保存食に、また柿渋をとるのにも重用されました。

松本保家の柿木(北原)

年代ものの洞のある柿木です。この木を譲って欲しいとの話もあるそうですが、松本さんはわが家の名木としてこれからも大事に見守っていきたいと生前話されていました。

青桐/アオギリ

日野尋常高等小学校の青桐/アオギリ(仲町)【消滅】

日野尋常高等小学校開校以来、校舎の傍らで子どもたちの成長を温かく見守ってきたくれた青桐です。

馬場商会の青桐/アオギリ(金子橋)【消滅】
理容やまもとの青桐/アオギリ(森町)【消滅】

プラタナス

大屋のプラタナス(森町)

カフェ大屋の店先に立つ名物の2本のプラタナスです。兄弟?姉妹?それとも、店のオーナーご夫妻のようななかむつまじい夫婦のプラタナスでしょうか。

吉野屋(安西家)のプラタナス(横町)【消滅】
池田工務店のプラタナス(仲町)【消滅】

日野宿内の街道沿いにあった街路樹として、平成の時代まで頑張り続けた池田工務店前のプラタナスです。

神明社のプラタナス(山下)

桜/サクラ

イチョウ/銀杏

薬王寺の夫婦イチョウ(四谷/四ツ谷)
蚕糸試験場日野桑園のイチョウ
宝泉寺のイチョウ(横町)
日野駅東側にあったイチョウ【消滅】
中央公民館前のイチョウ

先に紅葉したイチョウと時期がずれまだ青々としたもう1本のイチョウのコントラストがひときわ目を引く名物イチョウです。

坂下地蔵堂脇のイチョウ

イトヒバ/糸檜葉

安養寺のイトヒバ【消滅】

東京都の天然記念物として指定されていたイトヒバでしたが、台風でその雄姿を奪われてしまいました。

東光寺薬師堂跡のイトヒバ

東光寺薬師堂が成就院境内に移転した後も、ひとりすくすくと成長を続けるイトヒバです。

普門寺のイトヒバ(仲町)

樫/樫木/カシノキ

有山重世家の樫木【消滅】

現在の日野図書館のところにあった有山重世家の樫木です。

中村家の樫ぐね(下町)

下町の中村家はやんめ地蔵を祀られているお宅ですが、その中村家の北側には立派な樫ぐねがあります。

日野宮神社の樫木(四谷/四ツ谷)
下河原の馬頭観音堂の樫木【消滅】

平成20年(2008)3月9日、まち歩き会開催のための下見で訪れたときの樫木ですが、その後、馬頭観音堂の建て替えに伴い伐採されてしまいました。

樫木/カシノキ(宮)

宮の別府神社の洞のある樫の大木です。歴史を感じさせます。

鈴木邦夫家の樫ぐね(下河原)【消滅】

戦時中、鈴木邦夫さんの父英夫さんの出征記念に撮られた写真に写っていた、下河原の鈴木邦夫家の樫ぐねです。

滝瀬家の樫ぐね(下河原)

平成24年(2012)3月24日に開催されたまち歩き会で訪ねたときに撮られた下河原の旧家滝瀬家の樫ぐねです。

写真は戦時中この辺りで自転車店を営んでいた猪鼻輪業の写真パネルについて、谷戸在住の谷富二さんから解説を聞いているところです。この辺は戦時中、米軍の爆撃により犠牲者がでたところでもあります。

福島家の樫木(東光寺)

東光寺の福島家の樫木です。福島家と言えば、昭和30年(1955)10月9日に米軍機が墜落し乗員2名が犠牲にあい、福島家も5棟173坪を焼くという痛ましい事故がありました。

現当主の福島さんも生まれたばかりでしたが奇跡的に難を逃れたということです。この樫は当時の様子を知る生き証人ですが、事故から70年近く経ち、今は何事もなかったかのようにのどかな田園風景を醸し出しています。

ヒマラヤ杉

神明社のヒマラヤ杉(山下)【消滅】
古谷呉服店のヒマラヤ杉(仲町)【消滅】

仲町にあった古谷呉服店のヒマラヤ杉です。現在は古谷呉服店の店蔵は333hair works(パーマ屋)になっています。残念ながら、このヒマラヤ杉は今は姿を消しました。

梨/ナシ

上田園の梨の原木(上田)

上田園は日野宿の助郷、上田にある梨園です。昭和5年(1930)、渡辺新助氏が東京府立農事試験場から長十郎、早生赤(4年生)80本の払い下げを受け、委託試験を始めました。(『日野市果実組合75年史』より)

ここから日野の梨栽培の歴史が始まりまた。梨狩りが観光ブームにもなった昭和30年代から40年代の全盛期を経て、今では梨園農家もかなり減りましたが、梨栽培の伝統は後継者の皆さんによって大切に引き継がれています。

カラー写真の梨の木が昭和5年(1930)に植えられた梨の原木です。

ムクロジ

川辺堀之内のムクロジ【消滅】

川辺堀之内のムクロジです。日野バイパスが通ったのはいいのですが、その工事に伴ってこのムクロジの木は伐採されてしまいました。

詳細はこちらを「ムクロジのはなしのつづき(2013年4月)」をご覧ください。

榧木/カヤ

別府神社の榧木(宮)

宮の別府神社の榧木/カヤです。

榧木と言えば日野宿の助郷、石田村の土方歳三が眠る石田寺の樹齢400年を超えるカヤや、とうかんの森の樹齢250年を超えるカヤの名木があります。両者はいずれも日野市指定天然記念物になっています。

スタジイ

日野自動車正門脇のスタジイ

日野自動車(当時は東京自動車工業)が日野に移ってきたのが昭和14年(1939)ですから、もしこのスタジイが当初から植えられていたとしたら80年以上も日野自動車を見守ってきたことになります。昔はこのスタジイが多摩丘陵のどこでもみられたそうです。

雑木林からのプレゼント

日野団塊世代広場の皆さんが身近な樹木の実を使って製作されたどんぐりトトロです。材料はどんぐり、ヒマラヤ杉の実、栗のイガです。平成23年(2013)3月の震災から2年目らしく「がんばろう日本」ののぼりが目にとまります。

雑木林からのプレゼント
日野団塊世代広場製作
2013-09-04

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