日野宿の名木古木
かつては日野宿のどこからも見ることができ、旅人の目印ともなったケヤキ(欅)や松の大木、街路樹として人々に潤いを与えてくれたプラタナス、校庭に植えられ子どもたちを見守ってきた青桐(アオギリ)、庭先に植えられ今も実を結ぶ柿木など、日野宿に生きた、あるいは今も生き抜く名木古木を紹介します。
index
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☞ 柿木 | ☞ 青桐/アオギリ | ☞ プラタナス | ☞ 桜/サクラ |
☞ イチョウ/銀杏 | ☞ イトヒバ/糸檜葉 | ☞ 樫/樫木/カシノキ | ☞ ヒマラヤ杉 |
☞ 梨/ナシ | ☞ ムクロジ | ☞ 榧木/カヤ | ☞ スタジイ |
ケヤキ/欅
八坂神社のケヤキ(森町)
うっそうと繁ったケヤキの大木の姿は、まさに日野宿の鎮守の杜そのものでしたが、近年、寿命を迎えて姿を消したケヤキもいくつかあります。
大昌寺のケヤキ(金子橋)
大昌寺のうっそうとしたケヤキの杜も落雷で枯れたり、用水整備のために伐採されたりと、次第にその数を減らしてきています。
現日野一小付近
昭和10年代中頃
大昌寺のケヤキ(左手)と下佐藤家のケヤキ(右手)
小池亮一氏所蔵
日野小学校秋季大運動会 1951(12)日の丸体操
<ケヤキ>
金内幹男氏撮影
日野小学校秋季大運動会 1951(13)騎馬戦
<ケヤキ>
金内幹男氏撮影
大昌寺山門とケヤキ
1950年代前期
志村章氏撮影
裏の川 1962頃 - 大昌寺西
<ケヤキ>
戸高要氏撮影
馬場岩松氏葬儀 1967(4)
大昌寺のケヤキ
馬場一衛氏所蔵
写真左手のフェンスの内側が第二代市長有山崧家の墓所
2024-06-08
大昌寺山のケヤキ【消滅】
日野宿内のどこからでも見えた大ケヤキでしたが、中央自動車道の建設のため姿を消しました。
日野小学校創立80周年記念プール 1953
大昌寺山のケヤキ
古谷萌氏所蔵
大昌寺坂遠景
昭和30年代
大昌寺山のケヤキ
戸高要氏撮影
下佐藤家のケヤキ(仲町)【消滅】
下佐藤家のケヤキには次のような逸話があります。
「大正15年(1926)2月11日、下佐藤の庭のけやきの大木(樹齢約400年、高さ35m位)に、立川にあった飛行五連隊所属の小林伍長、今泉軍曹がそうじゅうする飛行機が、あやまってこの大木の枝に左主翼をせっしょくさせ、近くの田上軍次さんの家についらくしてしまいました。
このとき、庭で遊んでいた三才になる女の子が、事故にまきこまれ不幸にも死亡しました。
二人のそうじゅう士はケガですみましたがついらくしてもエンジンが回っていたので、金子橋の馬場自動車屋さんのおじさんが来て、エンジンを止めたといいうことです。
この場所は、現在一小正門前の東さんの所あたりです。この頃は、飛行機が非常にめずらしい時でしたから、見物人が大勢集まって来て、大さわぎだったということです。 」(『私たちの町仲町』より)
現日野一小付近
昭和10年代中頃
大昌寺のケヤキ(左手)と下佐藤家のケヤキ(右手)
小池亮一氏所蔵
佐藤彦五郎新選組資料館所蔵
薬王寺のケヤキ(四谷/四ツ谷)【消滅】
うっそうとした薬王寺の杜は動物たちのサンクチュアリでしたが、昭和の時代の終わりとともにすっかり姿を変えてしまいました。
特に、数本あったケヤキの大木が枝を落とされたものの、しばらくそのままだったので、ああ残されるのだなと安堵していたら、いつしかすべて伐採されたのには、郷土史家の田中紀子さんもなげかけられていましたが、地元の人たちにとってもかなりショックだったようです。
四ツ谷薬王寺 1977
夫婦イチョウとケヤキ
松本保氏撮影
薬王寺の樹木 1984
ケヤキとイチョウ
後藤昭夫氏撮影
薬王寺樹木伐採後 1988
<ケヤキ/イチョウ>
後藤昭夫氏撮影
解体前の薬王寺 1988(2)
<ケヤキ>
後藤昭夫氏撮影
矢島家から薬王寺方面 1988
<ケヤキ/イチョウ>
矢島壽男氏撮影
平成5年(1993)境内の樹木は夫婦イチョウを残し、ほとんど切り倒されてしまいました。後に残った大ケヤキの切り株はしばらくの間、子どもたちの絶好の遊び場となりました。
後方に見えるのは寺務所と夫婦イチョウ
1993-11
1993-11
蚕糸試験場日野桑園のケヤキ
昭和初期に開場された蚕糸試験場日野桑園ですが、当時植えられたケヤキも一世紀近く経ち見事に成長しています。しかし、この十数年の間にふれあいホールなどの施設整備のために、他の樹木同様かなり伐採され、その数もだいぶ減ってきています。
№0164
蚕糸試験場日野桑園のケヤキ並木 1978
松本保氏撮影
蚕糸試験場日野桑園跡地整地 1978
ケヤキ並木
松本保氏撮影
旧蚕糸試験場日野桑園のケヤキ
2007-12-04
2019-06-23
入野祐子氏撮影
2019-06-23
入野祐子氏撮影
日野宮神社のケヤキ(四谷/四ツ谷)
日野宮神社遠景 1965頃 - 南側
<ケヤキ>
小野信明氏撮影
<ケヤキ>
2008-11-30
2024-06-02
天野医院のケヤキ(四ツ谷)【消滅】
四ツ谷の天野医院のケヤキです。周りが田んぼで遮るものがなかったのでどこからでも見える名木でした。
多摩川鉄橋から日野駅方面へ向かう中央線列車 1970
四ツ谷の天野医院のケヤキ
市川正浩氏所蔵(現日野市郷土資料館)
四ツ谷 - 梨屋(松本)- 大下(天野)宅 1954
天野医院のケヤキ
松本保氏撮影
日野尋常高等小学校のケヤキ/日野一中跡のケヤキ(仲町)
日野尋常高等小学校 卒業記念写真 1926(1)校舎全景
<ケヤキ(右手)>
萩原良夫氏所蔵(現日野市郷土資料館所蔵)
旧一中跡地から一中新校舎を望む 1963頃
<ケヤキ>
猪鼻洋助氏撮影
有山家のケヤキ(下町)
有山家の屋敷林のなかのケヤキです。
西側から
2024-06-08
東側から
2024-06-22
佐藤旭家のケヤキ(宮)【消滅】
宮の佐藤旭家のケヤキの屋敷林です。まち歩き会のための下見で訪ねたときの写真です。残念ながらこの素晴らしい光景を二度と見ることができなくなりました。
2007-10-08
2007-10-08
伊藤家のケヤキ(川辺堀之内)
市民プール近くの伊藤家の洞のあるケヤキです。
2016-03-26
甲州街道駅近くの小塚のケヤキ
まち歩き会で訪ねたときに出合った、甲州街道駅近くの住宅造成地にある小さな塚にあるケヤキ(右)です。松とともに祠を守るように幹を伸ばしていました。
令和6年(2024)6月19日(水)に改めて訪ねてみると松は途中で無くなっていましたが、ケヤキは順調に伸びているようです。
2008-03-24
井上博司氏撮影
2012-03-24
山田ゆみ氏撮影
奥がケヤキ
2024-06-19
2024-06-19
手前は榎木でその裏にケヤキ
2024-06-19
ムクノキ/椋/椋木
有山家のムクノキ(下町)
有山家の屋敷林のなかのムクノキです。
2024-06-08
2024-06-22
日枝神社のムクノキ(川辺堀之内)
日野宿の助郷である川辺堀之内にある日野市指定天然記念物となっている日枝神社境内のムクノキです。樹齢は300年以上と推定され、市内で最大のムクノキだそうです。
2016-03-26
2024-08-19
入野祐子氏撮影
松
御野立場の傘松【消滅】
江戸時代、旅人が日野の渡しを渡り日野宿内に向かって渡船場道を歩き始めると、右斜め方向の高台に見えたのがこの傘松だったようです。
日野御野立所ニ於ケル御統監殿下 1921 <傘松>
横川裕一氏所蔵
御野立場の傘松前で撮られた記念写真 1921頃
三田晴道氏所蔵
№1588
御野立場の傘松 1921頃
谷享司氏所蔵
日野台御野立場の傘松 絵葉書
大正時代
横川裕一氏所蔵
御立所日野臺傘松 大正期
佐藤元雄氏所蔵
御野立記念碑と傘松 昭和10年代
志村章氏撮影
№0277
宝泉寺山上 1956 枯れた後の傘松
昭和30年代
志村章氏撮影
お茶屋の松(二代目)【消滅】
日野市の東光寺地区と八王子市の小宮地区のちょうど市境付近、現在では東光寺から新旭橋を渡って小宮方面に抜ける直線道路が整備されていますが、かつては谷地川を渡ると道は左にそれ、そこから大きく右に弧を描きながら進むと、その道の中程、現在(令和5年)の富士レビオ八王子事業所の南側付近に、「お茶屋の松」といわれる枝ぶりの立派な黒松の大木が昭和50年代初頭までありました。
佐藤彦五郎新選組資料館提供
小嶋貴計氏提供
№0133
お茶屋の松 1951
松本保氏撮影
日野市郷土資料館提供
昭和30年代
鈴木英夫氏撮影
三代目のお茶の松
2024-03
御駒止之松
御駒止之松の碑 1956
志村章氏撮影
No.0087
御駒止之松の碑
2007-06-09
普門寺の赤松(仲町)
普門寺の赤松です。平成26年(2014)1月11日の火災で本堂を焼失しましたが、奇跡的に助かったのがこの赤松です。
2024-06-07
2024-06-07
大坂上の松【消滅】
№0815
雪の朝、日野駅ホームより南西方面を望む
昭和30年代前半
大坂上の松
矢島壽男氏撮影
別府神社の松(宮)
2024-06-17
2007-10-08
2024-06-17
甲州街道駅近くの小塚にある松
平成20年(2008)3月と平成24年(2012)年3月のまち歩き会のときに訪れた、甲州街道駅近くの住宅造成地にある松の木です。ケヤキとともに小塚の祠を守るように幹を伸ばしています。
令和6年(2024)6月19日(水)改めて訪ねてみると、この小塚の周りには住宅が立ち並び、ケヤキは元気に成長していましたが、松は途中で無くなっていました。
2008-03-08
井上博司氏撮影
2012-03-24
山田ゆみ氏撮影
2024-06-19
楓/カエデ/紅葉/モミジ
日野町役場の楓/カエデ/(仲町)【消滅】
日野町役場 1951
楓
松本保氏撮影
有山家の楓/カエデ/紅葉/モミジ
カフェ花豆の室内から北側の庭園を撮らせてもらった1枚です。
2013-11-30
日野宿本陣の楓/カエデ/紅葉/モミジ
2024-06-27
柿木
かつてはどこの家にも柿木がありました。甘柿なら食用に、渋柿なら保存食に、また柿渋をとるのにも重用されました。
雪の日-柿木
昭和30年前後
横町三田家の柿木
安西実氏撮影
旧岩澤泰宏宅の柿木 1970頃
岩澤泰宏氏撮影
河野家の柿木(手前右)
昭和30年代初頭
河野正夫氏撮影
松本保家の柿木(北原)
年代ものの洞のある柿木です。この木を譲って欲しいとの話もあるそうですが、松本さんはわが家の名木としてこれからも大事に見守っていきたいと生前話されていました。
2007-06-25
2007-06-25
2007-11-22
青桐/アオギリ
日野尋常高等小学校の青桐/アオギリ(仲町)【消滅】
日野尋常高等小学校開校以来、校舎の傍らで子どもたちの成長を温かく見守ってきたくれた青桐です。
日野小学校新校舎正面-絵葉書
大正時代初期
日野尋常高等小学校の青桐
佐藤元雄氏所蔵
日野中学校創立5周年秋季大運動会 1952(3)仮装行列
日野一中の青桐
松本保氏撮影
日野一中の青桐
1963頃
戸高要氏撮影
日野小学校跡の青桐 1963頃
日野一中の青桐(移転後)
戸高要氏撮影
かつて中学校にあった青桐の子孫?
2007-10-21
馬場商会の青桐/アオギリ(金子橋)【消滅】
馬場謹治氏町葬 1942(2)葬列
馬場商会の青桐
馬場嘉徳氏所蔵
馬場商会の青桐 1958 ‐ 金子橋
馬場一衛氏撮影
馬場商会 の青桐 1958
馬場一衛氏撮影
理容やまもとの青桐/アオギリ(森町)【消滅】
理容やまもとの青桐 1957頃 - 森町
山本豊氏撮影
プラタナス
大屋のプラタナス(森町)
カフェ大屋の店先に立つ名物の2本のプラタナスです。兄弟?姉妹?それとも、店のオーナーご夫妻のようななかむつまじい夫婦のプラタナスでしょうか。
大屋(志村家屋号)のプラタナス
昭和20年代
志村章氏撮影
大屋(志村家屋号)のプラタナス
1968
志村章氏撮影
大屋(志村家屋号)前のプラタナス
1979
品川明雄氏撮影
2007-07-16
2009-09
吉野屋(安西家)のプラタナス(横町)【消滅】
吉野屋前のプラタナス
1951頃
安西喜代治氏撮影
吉野屋前のプラタナス
昭和30年代
安西喜代治氏撮影
吉野屋前のプラタナス
1963頃
安西喜代治氏撮影
池田工務店のプラタナス(仲町)【消滅】
日野宿内の街道沿いにあった街路樹として、平成の時代まで頑張り続けた池田工務店前のプラタナスです。
近池田工務店のプラタナス
昭和10年前後
内山文子氏所蔵
池田工務店のプラタナス
1956
内山文子氏所蔵
池田工務店のプラタナス 1978
加藤善巳氏撮影
神明社のプラタナス(山下)
2024-06-08
桜/サクラ
宝泉寺山(現矢の山公園)から日野駅ホームを望む 1955
満開の桜
志村章氏撮影
本所智恵子氏所蔵
イチョウ/銀杏
薬王寺の夫婦イチョウ(四谷/四ツ谷)
四ツ谷薬王寺 1977
夫婦イチョウ(中央)
松本保氏撮影
薬王寺の樹木 1984
後藤昭夫氏撮影
薬王寺遠景
夫婦イチョウ(中央)
2012-07-21
矢島家から薬王寺方面 1988
<ケヤキ/イチョウ>
矢島壽男氏撮影
蚕糸試験場日野桑園のイチョウ
蚕糸試験場日野桑園イチョウ並木 1978
松本保氏撮影
蚕糸試験場日野桑園のイチョウ-作業所-前 1978
松本保氏撮影
宝泉寺のイチョウ(横町)
宝泉寺東側 - 鐘楼、閻魔堂
昭和30年代初頭
<イチョウ>
昭和30年代初頭
<イチョウ>
2013-11-29
日野駅東側にあったイチョウ【消滅】
河野家から日野駅舎方向
<イチョウ>
河野正夫氏撮影
中央公民館前のイチョウ
先に紅葉したイチョウと時期がずれまだ青々としたもう1本のイチョウのコントラストがひときわ目を引く名物イチョウです。
2010-11-08
日野中央公民館前のイチョウ
坂下地蔵堂脇のイチョウ
2012-11-23
イトヒバ/糸檜葉
安養寺のイトヒバ【消滅】
東京都の天然記念物として指定されていたイトヒバでしたが、台風でその雄姿を奪われてしまいました。
安養寺のイトヒバ
昭和30年代
東京都の天然記念物だったころ
猪鼻洋助氏撮影
台風で倒れてしまい、その後枯れてしまったイトヒバ
2007-12-10
東光寺薬師堂跡のイトヒバ
東光寺薬師堂が成就院境内に移転した後も、ひとりすくすくと成長を続けるイトヒバです。
成就院に移動する前の東光寺薬師堂
昭和30年代
<イトヒバ>
小野信明氏撮影
<イトヒバ>
2013-01-12
<イトヒバ>
2024-05-28
普門寺のイトヒバ(仲町)
2024-05-16
樫/樫木/カシノキ
有山重世家の樫木【消滅】
現在の日野図書館のところにあった有山重世家の樫木です。
仲町消防団 1928
<樫木>
守屋善輝氏所蔵
八坂神社の祭り - 宮神輿 - 有山重世家前 昭和10年代か
<樫木>
佐藤元雄氏所蔵
中村家の樫ぐね(下町)
下町の中村家はやんめ地蔵を祀られているお宅ですが、その中村家の北側には立派な樫ぐねがあります。
2006-10-22
2006-10-22
日野宮神社の樫木(四谷/四ツ谷)
日野宮神社 1962 - 参詣 - 社殿
東側から撮影
<樫木>
日野宮神社
2009-07-30
東側から撮影
<樫木>
2024-06-02
北側から撮影
下河原の馬頭観音堂の樫木【消滅】
平成20年(2008)3月9日、まち歩き会開催のための下見で訪れたときの樫木ですが、その後、馬頭観音堂の建て替えに伴い伐採されてしまいました。
2008-03-09
樫木/カシノキ(宮)
宮の別府神社の洞のある樫の大木です。歴史を感じさせます。
2024-06-17
鈴木邦夫家の樫ぐね(下河原)【消滅】
戦時中、鈴木邦夫さんの父英夫さんの出征記念に撮られた写真に写っていた、下河原の鈴木邦夫家の樫ぐねです。
出征兵士の壮行1944(2)
<樫ぐね>
真野保氏撮影
滝瀬家の樫ぐね(下河原)
平成24年(2012)3月24日に開催されたまち歩き会で訪ねたときに撮られた下河原の旧家滝瀬家の樫ぐねです。
写真は戦時中この辺りで自転車店を営んでいた猪鼻輪業の写真パネルについて、谷戸在住の谷富二さんから解説を聞いているところです。この辺は戦時中、米軍の爆撃により犠牲者がでたところでもあります。
2012-03-24
山田ゆみ氏撮影
福島家の樫木(東光寺)
東光寺の福島家の樫木です。福島家と言えば、昭和30年(1955)10月9日に米軍機が墜落し乗員2名が犠牲にあい、福島家も5棟173坪を焼くという痛ましい事故がありました。
現当主の福島さんも生まれたばかりでしたが奇跡的に難を逃れたということです。この樫は当時の様子を知る生き証人ですが、事故から70年近く経ち、今は何事もなかったかのようにのどかな田園風景を醸し出しています。
米軍機墜落 1955(2)東光寺
<樫木>
小池亮一氏所蔵
ヒマラヤ杉
神明社のヒマラヤ杉(山下)【消滅】
少年‐後方に中央自動車道 昭和40年代
<ヒマラヤ杉>
大貫初江氏撮影
神明社方面を望む 1956頃
<ヒマラヤ杉>
志村章氏撮影
大昌寺坂遠景 昭和30年代
<ヒマラヤ杉(右手)>
戸高要氏撮影
古谷呉服店のヒマラヤ杉(仲町)【消滅】
仲町にあった古谷呉服店のヒマラヤ杉です。現在は古谷呉服店の店蔵は333hair works(パーマ屋)になっています。残念ながら、このヒマラヤ杉は今は姿を消しました。
梨/ナシ
上田園の梨の原木(上田)
上田園は日野宿の助郷、上田にある梨園です。昭和5年(1930)、渡辺新助氏が東京府立農事試験場から長十郎、早生赤(4年生)80本の払い下げを受け、委託試験を始めました。(『日野市果実組合75年史』より)
ここから日野の梨栽培の歴史が始まりまた。梨狩りが観光ブームにもなった昭和30年代から40年代の全盛期を経て、今では梨園農家もかなり減りましたが、梨栽培の伝統は後継者の皆さんによって大切に引き継がれています。
カラー写真の梨の木が昭和5年(1930)に植えられた梨の原木です。
東京府委託梨試験地 ‐ 上田園 1935
渡辺ちひろ氏所蔵
2007-11-10
ムクロジ
川辺堀之内のムクロジ【消滅】
川辺堀之内のムクロジです。日野バイパスが通ったのはいいのですが、その工事に伴ってこのムクロジの木は伐採されてしまいました。
詳細はこちらを「ムクロジのはなしのつづき(2013年4月)」をご覧ください。
2013-04
2013-04
榧木/カヤ
別府神社の榧木(宮)
宮の別府神社の榧木/カヤです。
榧木と言えば日野宿の助郷、石田村の土方歳三が眠る石田寺の樹齢400年を超えるカヤや、とうかんの森の樹齢250年を超えるカヤの名木があります。両者はいずれも日野市指定天然記念物になっています。
2024-06-17
スタジイ
日野自動車正門脇のスタジイ
日野自動車(当時は東京自動車工業)が日野に移ってきたのが昭和14年(1939)ですから、もしこのスタジイが当初から植えられていたとしたら80年以上も日野自動車を見守ってきたことになります。昔はこのスタジイが多摩丘陵のどこでもみられたそうです。
日野自動車正門 昭和30年代
<スタジイ(左手前)>
鈴木英夫氏撮影
雑木林からのプレゼント
日野団塊世代広場の皆さんが身近な樹木の実を使って製作されたどんぐりトトロです。材料はどんぐり、ヒマラヤ杉の実、栗のイガです。平成23年(2013)3月の震災から2年目らしく「がんばろう日本」ののぼりが目にとまります。
日野団塊世代広場製作
2013-09-04