日野駅開業

日野停車場の開業

開通当初、甲武鉄道には隣の立川と八王子に停車場ができました。日野には停車場が設置される計画はありませんでした。

明治35年ころの日野停車場
明治35年ころの日野停車場

日野宿は甲州街道の宿場として、長い間、人や荷物の流通をになっていたため、鉄道の建設によって「便利」になると、それまでの仕事が少なくなってしまうという理由から、鉄道を快く思っていなかったからでした。

しかし、現実に鉄道の建設が始ってしまいました。そうなると、日野宿の利便が悪くなり宿が衰退することが避けられないと心配されるようになりました。

そうなることを防ぐため、日野煉瓦工場の社長土淵英らによって日野に停車場を開設する運動が進められました。有志が敷地や工事費などを鉄道会社に寄附して、ついに明治23年(1890)1月6日、日野停車場が開業しました。

この日、日野宿では200本以上の煙火(花火)が打ち上げられ、見世物が出たり諸商人が集まり、宝泉寺で開かれた祝宴には約150名の来賓があるなど、大変なにぎわいを見せました。

この祝宴の際に、元の日野宿戸長佐藤俊宣は「祝日野停車場新建章」という漢文を朗読しています。

日野停車場は、現在の日野駅より南西の八王子寄りに位置し、旧甲州街道の日野坂を登り、線路を西側に渡って南へ100mほど入った場所にありました。

中央高速の橋桁をくぐると線路の反対側にJR日野変電所が見えます。この変電所の敷地が日野駅発祥の地です。上りと下り線の間にあるもう一本の線路はその名残でもあります。

旧日野駅舎と駅員<br>
昭和初期ころ
旧日野駅舎と駅員
昭和初期ころ
旧日野駅舎とまちの人たち<br>
昭和初期ころ
旧日野駅舎とまちの人たち
昭和初期ころ
昭和30年ころの旧日野駅
昭和30年ころの旧日野駅

一番西側に貨物線があり、ここから米や麦のほか、煉瓦やビール、薪、氷といったこの地域ならではの産物が東京や八王子へ輸送されていきました。駅前には積荷を運ぶ荷馬車や茶屋が出来、多摩川で鮎漁を楽しむ人や、高幡不動や百草園などへ行く行楽客にも利用されました。

この初代の日野駅は昭和12年(1937)5月まで使用されました。

日野停車場・日野駅今昔

日野宿発見隊で開催した「まちかど写真館 in ひの」(120周年・130周年記念)の中から、下の写真のような日野停車場・日野駅関係の旧写真をご覧になれます。

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