幟旗(のぼりばた)の話
横町飯綱神社の幟旗
平成22年(2010)10月2日(土)、横町にある飯綱神社(権現社)の例祭を見学させてもらいました。日野駅旧踏切手前にある神社です。隣には地蔵堂(東の地蔵)があります。
その時、写真のように飾られていた幟旗に記された文字がどうしても読めませんでした。後日、町内の方からいただいた由緒書きをみてやっとわかりました。
そこには神社の概要とともに「鎮守御祭礼」の文字が記されていました。「礼」は旧字。なるほどそう読むのかとふたりでやっと納得した次第です。ちなみに、この幟旗を保管する木箱には「天王宮御旗 四流 文政十丁亥歳八月吉日新添横町 氏子中」と記されています。文政10年は西暦1827年です。令和7年(2025)の現在からすると約200年も前に作られたものです。
初午の幟旗
毎年2月の最初の午の日にあたる日、すなわち「初午」のときに、自宅に祀られたお稲荷さんにお供え物とともに掲げられている幟旗です。
町民運動会ではためく幟旗
町民運動会では自治会名や威勢のいいスローガンを記した幟旗が会場にはためいていました。
▶第3回日野町運動会(合併後) 昭和35(1960)年10月16日(日) 東尚士氏撮影
昭和33年(1958)に七生村と合併後に開催された町民運動会の会場にはためく町会の幟旗が映っています。
下河原観音様の幟旗
下河原の鈴木邦夫さんによると、昭和10年前後のお祭りには、山岡鉄舟筆の2本の幟旗を地区の東西に掲げたそうです。これは、明治14年(1881)9月14日、山岡鉄舟が甲州の方に来た折に川止めにあい、宿に逗留し、その際に、下河原地区のために揮毫(きごう)してくれた幟でした。『河野清助日記』明治14年9月14日の項に「暴風午前十一時頃止、祭礼幟立 下河原新調幟壱対出来ル 神光烈天地 清気耀乾坤 山岡鉄太郎書」と記されています。
しかし残念なことに、昭和20年代に下河原観音堂に収納されていたところを、盗難にあい行方不明になってしまったそうです。
別府神社の幟旗(宮)
安政4年(1857)9月製作の「鎮守御祭禮」(本田覚庵書)と記された幟旗があります。本田覚庵は文化11年(1814)~元治2年(1865) 本田家は谷保村(国立市)にあり、江戸時代初期から現在まで続く名家で代々医者と書家を家業としてきました。八坂神社の「祇園社」の扁額も覚庵の揮毫で、新選組の土方歳三も覚庵に書を学んだそうです。
写真未所蔵
東光寺神明社の幟旗
昭和30年(1955)9月製作の「奉納神明宮御宝前」(拍岡山樵書)と記された幟旗があります。
写真未所蔵
参考
『日野の祭幟(まつりのぼり)』日野の歴史と民俗の会/編集・発行 1996年9月