日野宿を走った、飛んだ乗り物

大正、昭和の日野宿を走った人力車、自転車、舟、オートバイ、荷車(大八車)、耕運機、自動車、ジープ、消防車、バス、トラック、ブルドーザーのほか、上空を飛んだ飛行機やヘリコプターなどの乗り物を写真と映像で紹介します。
なお、鉄道関係は以下の項目をご覧ください。

人力車、自転車、舟、オートバイ、荷車(大八車)、耕運機、自動車、ジープ、消防車、バス、トラック、ブルドーザー編

飛行機編

大正15年(1926)3月、立川飛行場を飛び立った複葉機から日野宿を撮影した写真を始め、戦後米軍に接収されていた立川飛行場を離着陸する米軍輸送機グローブマスター、また昭和30年(1955)、31年に相次いで発生した米軍機墜落事故の貴重な写真を掲載しています。

映像でみる乗り物

日野町消防団出初式と仲町消防団消防訓練 昭和30年代 | 日野宿発見隊

日野第一小学校で開かれた日野町消防団出初式と仲町消防団の消防訓練を日野市在住の池田孝行さんが撮影した映像です。前半の出初式では日野第一小学校の旧校舎や大昌寺の…

ヘリコプター上空から見た日野宿 昭和40年前後 | 日野宿発見隊

ヘリコプター上空から日野宿の街並みを撮った映像です。日野第一中学校校庭から飛び立ったヘリコプターは甲州街道に沿って、日野宿本陣、八坂神社、日野坂、日野自動車等…

日野宿で初めての貨物自動車

四ツ谷の故小島茂雄/著『四谷のむかし』(1998.7)28頁に次のように記されています。

「昭和5年(1930)頃、組合内の小島甚五郎さんが、日野で初めて貨物自動車を購入した。フォードT型1トン車であった。この頃はまだ荷車や馬力車が一番の運送車であったので、先駆者として名をなした。」

当時の貨物自動車には荷物の運送を手伝うための助手が付いたそうです。小島さんも冬の農閑期には助手を頼まれたとのこと。農産物の米、麦、多摩川の砂利、砂などの運搬や、日野駅に降ろされる大量の肥料、米糠、〆粕、大豆粕など、日野だけでなく、八王子の小宮村、隣接の七生村地域まで配達したそうです。

人力車

写真№1279に写っている人力車に触れて、四ツ谷の故小島茂雄さんが『四谷のむかし』(1998.7)29頁に次のように記しています。

「大正時代から昭和の初期まで、日野町の人口は五千人といわれてきた。病院はなく、内山(堀之内)、土方(石田)、日野(金子橋)、天野(四ツ谷)の医院があった。<中略> 当時人力車は昼間、日野駅に三台駐車していて、列車の昇降客を相手にする傍ら、一般からの依頼、医者の往診などに働いた。人力車を引く人を車引き、車夫と呼んだ。三人のうち一人は仲宿、二人は駅の地元の横町の人であった。」

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