日野大坂、日野坂(新坂)
甲州街道が甲府まで完成したのが慶長9年(1604)と言いますから、そのころに、八王子宿と日野宿間に位置する日野台地と河岸段丘下にある日野宿を結ぶための日野大坂が整備されたものと考えられます。
ここでは明治以降に絞って紹介します。
『日野の歴史と文化ー日野の古道特集号ー」(日野史談会 1979年4月30日 第13号)に河野正夫さんが「道路の今昔」として論考を寄せています。その中に、「日野大坂」という項があり、次のように述べています。
「明治17年(1884)に大々的改修、四間道路となる。新しい日野大坂(駅の西側)は昭和7年(1932)頃失業対策事業として新設され、昭和11年(1936)頃コンクリート補装道路になった。」
「新しい日野大坂」とは現在の日野坂のことです。昭和7年(1932)から昭和8年(1933)にかけて、日野宿内の甲州街道北側の拡幅工事が行われたと言いますが、日野坂も含め八王子方面まで拡幅工事が行われたようです。
『日野の歴史と文化ー日野市教育百年特集号ー」(日野史談会 1975年7月1日 第8号)に郡司金章さんが寄せた「村内老にきいた話(甲州街道拡幅譚)」のなかで、大和田にあった村内テレビの社長さん(注:八王子加住出身)から聞いた甲州街道拡幅工事にまつわる話として次のように紹介しています。
「大和田坂の切り下げが出来て、これにより大和田橋(八王子)から日野を通って府中の宿の手前まで道路が拡幅された。」
この甲州街道拡幅工事は昭和恐慌時の救農土木工事の一環として行われたもので、府中から八王子の大和田橋まで行われたことがわかりました。