もうひとつの煉瓦の話

渡邉家(屋号「中村屋」)長屋門前 1933 
真野泰久氏所蔵
工事中
甲州街道北側 1936 ‐ 渡辺家前 ‐ 金子橋
真野泰久氏所蔵
工事後
大阪窯業製の煉瓦
八坂神社前に敷かれた大阪窯業製の煉瓦
昭和30年代初頭

日野宿で日野煉瓦とは違うもうひとつの煉瓦が活躍していたことがあります。それは八王子市長沼にあった大阪窯業(ようぎょう)製の煉瓦です。昭和7年(1932)から昭和8年にかけて日野宿内で甲州街道の拡幅工事が行われました。この時歩道に敷かれたのがこの会社の煉瓦です。とても風格のある素敵な歩道だったといいます。清野利明さんの「甲州街道の煉瓦敷き歩道ー社会状況から出現を探るー」(『日野の歴史と文化』46号 日野史談会 1997)によると、この煉瓦敷きの歩道について、当時を知る人が「真っ白い車道に赤い煉瓦の歩道で、現在のアスファルトだけの道路より斬新だった」との印象を述べていたそうです。しかしこの煉瓦の歩道も残念ながら昭和30年代でその姿を消してしまいました。

日野図書館前掲示板支柱下に展示された大阪窯業製煉瓦

ところが数年前、日野図書館の西隣の池田屋(屋号)という古いお宅が解体されました。なんとその時「OSAKA YOGYO」の刻印のあるこの大阪窯業の煉瓦がいくつも出てきたのです。早速これをもらい受け日野図書館前に展示しました。今も活躍する日野煉瓦とともに、一時期活躍したもうひとつの煉瓦がこの日野宿にあったことを記憶にとどめたいですね。

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