道路上から消えた歩道橋や標識など
日野宿内の道路上にかつてあったもので、今は姿を消した歩道橋や標識などを紹介します。
歩道橋
昭和56年(1981)の写真の右手奥に歩道橋が見えます。仲町の日野本町二丁目交差点付近にあった歩道橋です。「交通戦争」とまで言われるほど交通事故が多発し大きな社会問題となっていた昭和30年代以降の交通状況から、子どもたちをはじめとする歩行者の安全を確保するために設置されたのが歩道橋でした。しかし、時を経て平成19年(2007)2月13日、日野宿の街並み再生事業の一環として、歩道幅員の確保のため、この歩道橋は撤去されました。
十数年の空白の後、昭和51年(1976)年9月に再開した八坂神社の宮神輿渡御を撮った品川明雄さんの写真もこの歩道橋から撮られた1枚でした。このアングルからの写真はもう二度と撮れなくなりました。
昭和60年(1985)9月15日の写真に写る歩道橋です。№1469の写真もこの歩道橋から撮られた1枚です。
この道路がまだ国道20号だったころです。平成19年(2007)3月24日の日野バイパスの開通を受け、4月1日をもって管理が国から都に移管され、名称も国道20号から都道256号に変更されました。
昭和27年(1952)12月4日、新道路法に基づく路線指定で一級国道20号となって半世紀を経ての変更でした。但し「甲州街道」という由緒ある名称はそのまま残りました。
なお、日野橋南詰近くにある歩道橋は、令和6年(2024)8月からの塗装工事も終了し、10月から以前のように使用されています。
写真準備中
交通標識
横断幕式標識
1950年代の写真に見る路上高く横断して吊り下げられた「横断禁止」の標識です。両側の木製の電信柱に両端が取り付けられています。今でも横断禁止を告げる標識が設置されているように、道路を横断するのはなかなか止められないのが実情のようです。ちなみにこの当時の道路はコンクリートだったそうです。
進駐軍向けの標識
昭和29年(1954年)の写真を見ると左側の電柱に付けられた標識に32(km)という数字が見えますが、これはマイルでいえば20マイルのことです。昭和30年代初頭の写真にも中央付近に英語の標識(制限速度「20MPH」)が立っていました。これらの標識は、敗戦後、昭和27年(1952)4月28日まで、連合軍が駐留していたため、交通標識も連合軍の中核となっていた米軍向けにマイル標識となっていた名残です。
こんな痛ましい話があります。戦後間もないころ、現在の中央公民館のところにあった小学校へ通うために、甲州街道を南側から北側に渡ろうとしていた一年生のKさんは、進駐軍のジープに轢かれて片足が不自由になってしまいました。
横断歩道のデザイン
昭和35年(1960)の写真に写る横断歩道のデザインと平成20年(2008)のデザインの違いがわかるでしょうか。
『令和5年度調査研究報告書 横断歩道の道路標示の見直しに関する調査研究』(自動車安全運転センター調査研究部 令和6年3月)によると、昭和 35 年には現在に続く「道路交通法」が施行され、信号機のある交差点付近では「2本の側線型」、それ以外では「チェッカー型」の2種とされたそうです。戸高さんの撮られたこの写真を見ると、まだ信号機がないので「チェッカー型」です。まさしくこのときに付けられた横断歩道のデザインだったわけです。
平成4年(1992)には、「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」が改正され、側線のないゼブラ型が採用されます。平成20年(2008)の写真に見えるのはそのゼブラ型で、現在に至っています。
煉瓦の歩道
昭和7年(1932)から昭和8年にかけて日野宿内で甲州街道の拡幅工事が行われました。この時歩道に敷かれたのが、八王子市長沼にあった大阪窯業(ようぎょう)製の煉瓦です。とても風格のある素敵な歩道だったといいます。しかし残念ながら昭和30年代でその姿を消しました。
参照:もうひとつの煉瓦の話
ガードレール/防護柵
昭和39年(1964)10月10日開催予定の東京オリンピックを控えて、甲州街道の仲町付近を清掃する町内会の女性陣です。
オリンピックで行われる自転車競技対応のための一時的なものなのか、ポール間にロープを渡しただけのかなりシンプルな防護柵が見えます。
しかしその後の交通事情の大きな変化に伴い、歩行者保護のための本格的なガードレールが日野宿内にも設置されていきました。
ダストボックス
ごみの収集方式がダストボックス方式だったころの万願寺の一里塚付近の写真です。当時は道路に面したところに可燃ごみの用のグリーンボックスや不燃ごみ用のオレンジボックスが至るところに設置されていました。
平成12年(2000)10月に始まった「ごみ改革」政策により、原則戸別収集方式に変更し、有料指定袋制によるごみ回収が実施され、大幅なごみ減量につながったのでした。