如意山宝泉寺
宝泉寺は、臨済宗建長寺派の禅寺です。創立は元徳年間(1330年頃)と伝えられ、開祖は鎌倉建長寺の曇芳同応大和尚です。
本尊は釈迦如来、脇侍に文珠菩薩普、賢菩薩があります。
当初は姥久保(現新町、中央高速が通るあたり)にありましたが、火災にあい、その後、現在の地に再建されたといわれています。本堂は、平成13年(2001)5月に新築落慶し、境内も整えられています。
旧甲州街道に面した山門は六脚ひのき造り、嘉永6年(1853)多数の檀家と近郊の有力者によって建てられたものです。
明治8年(1875)には小学校の教員を養成するための師範学校が宝泉寺に開校しています。当時日野は神奈川県に属しており、県内に4校開設されたうちの1校でした。第二号師範学校と呼ばれました。
持ち上げ観音
宝泉寺には高さ36cmの馬頭観音菩薩は安置されています。
これが「持ち上げ観音」です。
持ち上げ観音について「縁起」には次のように記されています。
「挙げ仏馬頭観世音菩薩縁起そもそも当山挙げ仏馬頭観世音は、弘法大師の御作にして、去る天明8戊申年8月21日の夜、何国ともなく異僧石仏を負いきたりて、当寺に一宿していわく、尊像の利益諸願、軽重によりてしるべしと告げて石仏を堂中におさめ、翌朝異僧の行衛(ゆくえ)をしらず、すなわち仏意のごとく伺いたてまつるに、病人・生死・医者の方角・縁談・待ち人・欠落(かけおち)者・其外何によらず一心に祈願発念【ほつねん】して伺いたてまつるに、重き軽きによりて吉凶の御告ある事、別して蚕養の守護を祈るにその利益広大なり、諸人結縁を結びて仏徳の深きを知るべしと言々 武州多摩郡日野宿宝泉寺」。
天明8年(1778)8月21日のこと、石仏を背負った旅の僧が宝泉寺に一泊しました。その僧は、この石仏は持ち上げる重さによって、いろいろな願いを占ってくれると言って、そのままお寺に置いて、翌朝どこへ行くともなく消えてしましました。そこで、僧が言う通りにいろいろなことを占ってみると、はたしてその通りでした。他に養蚕についてお願いすると効果が大きい観音様です。
この不思議な観音様の評判は遠方にも広まり信心に来る 人、伺いに来る人も多く、持ち上げ観音は多くの人々の信仰を集めました。
本堂と客殿をつなぐ廊下に安置されており、今でも伺いをたてることができます。
井上源三郎墓碑と顕彰碑
宝泉寺の墓地にある井上家の墓所には日野宿出身で新選組6番隊長・副長助勤井上源三郎(戒名:誠願元忠居士)の墓碑が建てられています。
墓誌には、源三郎と共に兄松五郎、源三郎の 死をみとった泰助の名も見られます。
墓所には年中、井上源三郎を慕う人たちが墓参に訪れています。
本堂と墓地の間、駐車場に面して、顕彰碑も建てられています。
神明緑地
宝泉寺裏山の雑木林は日野市の保存緑地になっています。
ここには日野駅西側の斜面にあったカタクリの群生地が区画整理によって失われた時、日野市と有志の方々によって移植され、今ではすっかり根付いています。春先には可憐な花を見ることができます。緑地内には散策路も作られています。
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