日野宿本陣の保存

日野宿本陣
2024-03-13
入野祐子氏撮影

日野宿本陣は都内で唯一残る江戸時代に建てられた本陣建物です。

今の建物は嘉永2年(1849)正月18日の大火で焼失してしまった主屋にかわるものとして建設されました。

幕末に日野宿の問屋と日野本郷名主を務めていた佐藤彦五郎が本陣兼自宅として翌元治元年(1864)12月から使用された建物です。

平成22年(2010)3月23日に東京都指定史跡に指定されましたが、この本陣屋敷を支え続けた人たちがいなければ、実は今こうして見ることはできなっかたかもしれないのです。

なお、明治26年(1893)の大火により主屋が焼失した有山家(佐藤彦五郎四男彦吉の養子先)に移設された「上段の間」は、令和6年(2024)2月に、先に東京都指定史跡に指定されている日野宿本陣跡の付(つけたり)として指定有形文化財として追加指定されています。

以下、日野市観光協会に詳しく紹介されていますので、ここに転載させていただきます。

日野宿本陣屋敷を今に伝えた人たち

幕末、文久3年(1863)、10年もの歳月をかけて造られた本陣屋敷が150年余りの年月を経て、今ここにあるその陰にはこの建物を支えてきた人々の存在があります。

日野宿を何度か襲った大火、明治維新、関東大震災、にも耐え、そして迎えた第二次世界大戦、終戦間近な時(注:昭和20年<1945>2月17日)、日野第一中学校あたりに落ちた爆弾の破片が屋根瓦を砕き、さしもの屋敷も大きな打撃を受けてしまいました。

6,000枚もの瓦が使われている屋敷です。たった一枚でも割れていれば、そこから入り込む雨水は容赦なく建物を痛め続けたのでした。

昭和26年(1951)、屋敷は宮崎家の所有となります。宮崎家は佐藤家とは敷地を隣合わせ材木商を営んでいました。

屋敷は昭和52年(1976)にこの屋敷を利用した蕎麦処「日野館(ひのやかた)」開業のための大修理が始まるまで、20数年間もの間、これといった手は加えられずにいました。

「日野館」が生まれたきっかけは、「日野館」の御主人が日本料理の修行を終え自分の店を持つことになったこと、そしてなによりもこの建物の保存とが目的でした。

宮崎家には3人の兄弟があります。長男は家業の材木店「マルセ」を継ぎ、次男は建築家、そして三男が「日野館」の御主人です。

材木店、建築家、料理の専門家、修理してそれ以後も屋敷を維持し続けていくためには誰も欠くことはできませんでした。三兄弟でそれが見事に揃っていたのです。そしてもうひとり・・・。

上田で谷工務店を営む谷さんです。谷さんは日野の生まれ、学校に通う時もこの屋敷横の小道を通って行ったそうで、大工の修行を終え、独立した後も、自然と屋敷を気にかけて見るようになっていったといいます。

谷棟梁にはこんな話があります。仲間たちと奈良法隆寺へ研修に行った折、宮大工棟梁の故西岡常一氏をして「あの男の名前はなんというのか」と言わしめたとのこと。

2年をかけた大修理

その谷棟梁が修理の依頼を受けた時には「いや、こりゃ治せんかな」と思ったほどだったといいます。何しろ大屋根はぼろぼろ、草まで生え、玄関上にいたってはのることさえままならなかったほど痛んでいたからです。

屋根裏には100年分のほこりや屋根瓦を止めていた土留の土がくるぶしほどまで積もり、それをそっとどけ天井裏板を一枚一枚洗うといった作業から始まり、隙間が空いてしまった外壁を寄せるなど、徹底的に修理をしたそうです。

なかでも大変だったのは大屋根で、屋根を支える根太は張り替え、それまでの6,000枚もの瓦はもう使い物にならず、全て特注で焼き直ししたとのことです。

その時はずされた瓦の一部が現在、門を入ったところにある白塀に使われています。

襖の金具なども残っているものを参考にして材質から形まで復元して戻されました。

極力、元の材料と構造物や建て具を活かした大修理に2年、さらに厨房施設や住居部分の増設などで1年、都合3年の月日を経て「日野館」は開店を迎えたのでした。

保存も仕事だった日野館

昭和55年(1980)4月8日、「日野館」は開店しました。

この開店は建物の保存も目的としていたので、よく、「『土方歳三が昼寝をしたといわれている部屋や市村鉄之助が匿われた部屋などを公開してくれ』、と要望されたりもしたが、とても店と両立できるものではなかった」とのことです。

それらの部屋はプライベートで使用していたこともありますが、建設当時からの襖や戸袋などがそのまま使われており、破損が何よりも心配だったとのこと。個人でできる範囲として後世に残すためには最良の方法が採られていたのです。

「日野館」から「日野宿本陣」へ

平成15年(2003)10月30日をもって本陣屋敷で経営されていた「日野館」は幕を閉じ、店を神明上に新築し、新たな「日野館」として一歩を歩み始めました。(注:後に閉店)何よりもこの屋敷を世代を超えて残しておきたい、という宮崎さんの決断でした。

平成16年(2004)にはNHK大河ドラマ『新選組!』に合わせて一般公開され、半年の修理、改築をへて平成17年(2005)春「日野宿本陣」として永く歴史を伝え続けることとなりました。

以上、日野市観光協会のホームページより転載させていただきました。

追記 長屋門の話

『図録日野宿本陣 佐藤彦五郎と新選組』(日野市 2004.3)によれば、「嘉永2年(1849)正月18日、日野の大火によって古くからの主屋が焼失しました。時をおかず長屋門が再建され、そこで仮住まいをしています。<中略> 大火の後、佐藤彦五郎は自ら開いた「佐藤道場」で、新選組の中核となった近藤や土方・沖田・井上たちと剣術の稽古に励みました。後に長屋門の一部は道場として使用されたところです。その長屋門は大正15年(1926)の大火で被災し、今は遺っておりません。」とあります。

現在、日野宿発見隊によって本陣前に展示中の明治期の長屋門写真(下)にわずかに面影を残しています。

№0845
奉納賽銭箱 1954 - 下佐藤家前
上:本所智恵子氏所蔵
下:佐藤彦五郎新選組資料館所蔵

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

1 + 7 =