日野宿の神社

日野宿内にある神社を紹介します。

以下、『日野市史民俗編』を参照させていただきました。

index

☞ 日野宮神社/日野宮権現(四ツ谷)☞ 八坂神社/牛頭天王社 ☞ 東光寺神明社☞ 山下神明社
☞ 別府神社(宮)☞ 北野神社/北野天満宮(上田)☞ 熊野神社/熊野権現社(谷戸)☞ 姫宮権現(西町)
☞ 第一日野万稲荷(日野万願寺)

日野宮神社

№0796
日野宮神社
2008-11-30
日野宮神社
2024-06-02

日野本郷四谷、現在の栄町2丁目に鎮座する日野宮神社。

その創立年代は不明ですが、祭神は、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)・高魂尊(たかみむすびのみこと)、そして武蔵七党、西党の祖、日奉宗頼が武蔵国の国司となり、その孫西内大夫宗忠が西党の始祖となって、その子孫が祖神を祀って日野官権現と称したといわれています。

日野で最も古い神社と思われ、今でも地元の人々は「権現様」と呼ぶ人もあります。

☞詳細はこちらをクリック

八坂神社

祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)です。
合祀神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと/稲荷)・櫛御気野命(くしみけのみこと)・大山咋命(おおやまくいのみこと/山王)です。

☞詳細はこちらをクリック

東光寺神明社

№0792
東光寺の神明社 1965頃
小野信明氏撮影
東光寺の神明社を訪ねて
2007-03-24

写真はまち歩き会「日野のむかしと春を訪ねて」(第4弾)で訪ねたときの写真です。案内人は元第四中学校長の故立川泰司先生でした。

所在地日野市栄町5-19-13
祭神天照大神
例祭日9月15日
本殿神明造板葺き 間口2尺(1尺は30㎝) 奥行1尺 
覆殿木造切妻造亜鉛板葺き 2尺(1間は1.82m)
拝殿木造入母屋造拝付銅板葺き 間口4間 奥行3間
石造神明鳥居1基 高さ2間 柱間1間半
石造狛犬1対 昭和49年
手洗鉢1基 嘉永5壬子年<1852>秋9月吉日 奉納者立川武兵衛
境内地266坪(1坪 3.3㎡)

創建は年代は不詳。武蔵七党の西党の支流立川氏がこの地に土着し、伊勢神宮を勧請したとも、和田義盛が執権北条義時に敗れ、その子孫がこの地に住み、伊勢神宮を勧請して社を建てたとも言われれています。

江戸時代には別当万照山成就院、明治2年(1869)以後は八坂神社の神職がこれに替わりました。

大正7年(1918)12月本殿を改築。昭和14年(1939)本殿・拝殿・手洗舎等焼失、翌15年9月15日本殿並びに拝殿を再建竣工しました。また昭和49年(1974)社殿を改修、その記念碑があります。

山下神明社

神明社鳥居
2007-06-09
神明社
2007-06-09
所在地日野市神明4-11-1
祭神天照大神
例祭日9月15日
本殿 本造 間口3尺 奥行3尺
覆殿本造切妻
石造鳥居1基
境内地266坪
風致林123坪

創祀年代は元亀元年(1570)と伝わっています。元亀元年、谷伊予という人が伊勢皇大神宮を勧請し、今の地に社殿を造営しました。享保20年(1735)伊予の子孫谷元六郎が、土淵山観音院普門寺に寄進して社殿を再建しました。江戸時代普門寺住職によって祭儀が行われていましたが、明治2年(1869)以後八坂神社の境外末社として、祭祀が行われています。

別府神社

別府神社の鳥居
2024-06-17
別府神社
2024-06-17
所在地日野市万願寺3-47-1
祭神不詳 別府太郎ともいわれている
例祭日9月14日
本殿木造流造 柿葺き 方4尺5寸
覆殿木造切妻 亜鉛板葺き 間口3間 奥行3間
拝殿木造正面入母屋造 亜鉛板葺き 間口2間 奥行9尺
石造明神鳥居1基 高さ1丈 柱径1尺(昭和35年9月建立)
石灯籠1基 高さ約5尺余(台石共 天明5年ー1785ー宮村講中奉献)
境内地247坪
境内神社                           5社1棟 神輿蔵1棟 
旧社格村社

創建年代は不詳です。その由緒については『武蔵名勝図会』(史 地誌 69頁)の記事の他に、鎌倉時代の武将別府太郎祭神説もあります(『日野町誌』158頁)。江戸時代には隣地の真福寺(明治6年廃寺)がその別当でしたが、明治2年(1869)以降八坂神社の神職がこれに替わり祭儀を司っています。

北野神社/北野天満宮

北野天満宮の扁額
2007-10-08
所在地日野市上田480
祭神菅原道真(高さ約20㎝ 衣冠束帯姿の塑像)
例祭日調査中
本殿 木造流造板葺き 間口3尺 奥行3尺
覆殿木造切妻造 亜鉛板葺き 5坪 
拝殿木造切妻造亜鉛板葺き 5坪 正面下屋付き
石造神明鳥居1基 高さ1丈(3m)
境内157坪余
旧社格村社

創建の年月などは明らかではありません。『新編武蔵風土記』(史 地誌 34頁)のよれば、もとこの社は百姓紋弥(平野家)の屋敷内に祀られていました。

明治初年、上田村は神社創建の必要から、この私社を村の鎮守として祀り、明治4年(1871)社格設定のとき村社に列せられて今日に及んでいます。明治2年(1869)以来八坂神社の神職が祭儀を行っています。

熊野神社/熊野権現社

№0568
解体前の熊野神社 2006
谷富二氏撮影
№0568
2008-09-11

谷戸の熊野神社(熊野権現社)は八坂神社に合祀されていますが、明治末年、熊野神社の旧内殿は、合祀以来三家によって、地境に共同社祀られています。

写真は平成18年(2006)11月に解体された谷戸の旧熊野神社(熊野権現社)です。すでに左手前には祠が祀られています。

姫宮権現

№0797
姫宮権現西側 1965頃
小野信明氏撮影
姫森権現
2007-03-24
№0987
八丁田んぼ 1955
真野博氏撮影

平成19年(2007)3月24日に開催されたまち歩き会「日野のむかしと春を訪ねて」(第4弾)で訪ねたときの姫森権現です。

土地区画整理事業のために現在は姫森公園内に鎮座している姫森権現ですが、写真№0987のように昭和の中頃までは周囲が水田で、(写真右上のように)数本の老杉と草むらになっていたそうです。

所在地 日野市新町一丁目10番16
日奉宗頼の配室を祀ったとも言われ、多摩川の自然石に次のように銘が刻まれています。

日光井之 延享二年丙寅九月十四日
姫森権現社
述 薬王寺支配法印密光建之

*延享二年は1745年です。

第一日野万稲荷(日野万願寺)

№1456
稲荷社鳥居完成記念
生沼保氏所蔵
2012-03-24
山田ゆみ氏撮影
2012-03-24
山田ゆみ氏撮影

所在地 日野市万願寺3-39-26
明治末年に八坂神社に合祀

写真№1456は第一日野万の稲荷神社に新しい鳥居が完成したのを記念して撮られた一枚です。

境内には多摩川の洪水で流失した荒地を明治12年(1879)から16年かけて開墾し、田畑を広げた史実を讃えた開墾記念碑が建っています。明治42年(1909)の建立で佐藤俊宣の撰並書です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

twelve − three =