甲州街道の歴史

徳川家康が江戸に幕府を開いた時、五街道と呼ばれる江戸から放射線状に地方と結ぶために五つの道を定めました。

甲州街道はそのうちの一つです。

  • 東海道 … 江戸〜京都
  • 中山道 … 江戸〜高崎〜下諏訪〜京都
  • 奥州街道 … 江戸〜宇都宮〜白河
  • 日光街道 … 江戸〜宇都宮〜日光
  • 甲州街道 … 江戸〜甲府〜下諏訪
甲州街道の宿場
甲州街道の宿場

甲州街道の移り変わり

 甲州街道は,正徳6年(1716)4月、「甲州道中」と改称されるまで「甲州海道」と呼ばれていました。「甲州街道」の名が使われるようになったのは明治以後、道路行政で国道が指定されるようになってからのことです。

  • 慶長年間(1596〜1614)に「甲州海道」が設定される。
  • 慶安年間(1648〜1651)に、青柳まで段丘上を通り、万願寺の渡しで多摩川を渡る道筋に変更される。
  • 貞享元年(1684)に日野の渡しを通る道筋に変更される。
  • 正徳6年(1716) 4月、「甲州海道」の名称から「甲州道中」と改称される。
  • 明治18年(1885) 国道16号となる。甲州街道の名が使われるようになる。
  • 大正9年(1920) 国道8号となる。
  • 大正15年(1926) 日野橋開通。日野の渡し廃止。
  • 昭和7年(1932) 日野駅下を通る新道が開通。
  • 昭和27年(1952) 国道20号となる。
  • 平成19年(2007) 3月24日、日野バイパス開通。日野区域は都道256号となる。
    甲州街道の呼び名はそのまま使われている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

3 + 2 =