日野宿で競馬をやっていたころの話

競馬と言えば、昭和9年(1934)に現在の八王子市高倉と日野市旭が丘にまたがる付近に、新たにできた八王子競馬場が有名ですが、実は旧羽田ヒューム管、現在のニューロシティのところにもかつて競馬場がありました。写真№0906の後方に見えるのは日野橋で、左手が多摩川の土手です。中央に見える鉄塔は今はありません。

昭和30年(1955)の初頭にここで競馬が開催されたといいます。本所俊一著『博労一代記』(日野市立図書館所蔵)によれば、昭和31年(1956)に第一回を開催、昭和33年(1958)の第三回目は日野町との合併を記念し七生村が主催して開催されたそうです。また、本所一男著『心』(1996年)に当時の様子が詳細に記されています。

なお、巻末に多摩八王子競馬場の写真も掲載しています。

『観光と事業界の読物 オール東京』

№0857の写真は『観光と事業界の読物 オール東京』に掲載された写真です。

『観光と事業界の読物 オール東京』より

日野橋乗馬倶楽部

『観光と事業界の読物 オール東京』に「日野町の畜産農協が経営する乗馬クラブでは、組合員の持っている馬を、いつでも希望者に貸すし、広い馬場も思い通りに乗り回すことができる。馬車の場合は五人乗りで料金はその都度協定できめるという。多摩川べりの堤をそよ風に吹かれながらパカパカ乗り歩くのも快適。本所俊一さんを組合長とする五十名近い組合員は、それぞれ一頭以上の馬持ち。役員十三名が、折にふれて競馬場に集合滝山城址などに遠乗りする。きょうもまた真夏の陽光を浴びて本所さんを陣頭に、多摩川堤から八頭の馬が、たてがみを薫風になびかせながら、滝山城址えのドライブである。戦争の犠牲になった軍馬は数知らないが無事帰還した馬を、働けなくも一生面倒みようと本所さんが岩澤千三さんに贈り、組合の宝物として愛育している。」と紹介されています。また、本所一男氏の『心』(1996年)に当時の様子が詳細に記されています。

多摩八王子競馬場

小林和男著『悲運の「多摩八王子競馬場」』(1994年3月)によれば、現在の日野第四中学校、都立大学東京日野キャンパス、都立八王子東高校、南原団地がすべて入る8万坪の敷地に八王子競馬場がありました。昭和9年(1934)に開設されたメインスタジアムは150m、3階建てで、多い時は5万人もの観客を集めた。昭和24年(1949)まで競馬が開催され、その後、昭和40年(1965)まで、競走馬育成・調教をする牧場として使用されていたといいます。

№0654の写真は、小西六(現コニカミノルタ)工場の屋上から撮ったものと思われます。はるか遠方に富士山を望み、手前には田園風景が広がります。中央左手から右方向に見える樹木が八王子競馬場です。右手には甲州街道が通ります。

№1712
八王子競馬場 昭和初年
コースは幅30m、左回り1600m、第4コーナーあたり
小池亮一氏所蔵
№0654
富士山遠望 昭和10年代中頃 
小池亮一氏所蔵
昭和12年(1937)撮影
コニカミノルタ資料室提供

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