日野煉瓦とJR中央線の鉄橋

日野煉瓦(れんが)

ほとんどの橋脚は補強のためコンクリートにおおわれている<br>
手前から7本目は昔のままの姿をみせている
ほとんどの橋脚は補強のためコンクリートにおおわれている
手前から7本目は昔のままの姿をみせている
日野煉瓦がよく見える橋脚
日野煉瓦がよく見える橋脚

立川〜八王子間の開通が新宿〜立川間より遅れたのは、多摩川鉄橋の工事によるものですが、この多摩川鉄橋の橋脚には、日野で作られたおよそ20万個の煉瓦が使われています。

当時の線路は単線でした。現在の上り線路の鉄橋です。

日野宿の土淵(つちぶち) 英(はなぶさ)が日野煉瓦製造所の新設認可願を提出したのは、明治20年(1887)10月12日のことでした。煉瓦工場は日野宿字下河原(現在の日野警察署北側)にあり、翌21年1月には、本格的に操業を開始しました。

日野煉瓦工場設立の大きな目的は、多摩川鉄橋建設にあったと考えられ、『河野清助日記』明治22年(1889)1月27日の項には「鉄道局へ煉瓦売込約定す」と記されています。長沼(八王子市)の八王子煉瓦工場の設立が明治29年(1896)ですから、日野煉瓦工場の設立は多摩地域では他に先駆けたものでした。

煉瓦工場は、支配人土淵英の急死によって明治23年(1890)8月に廃業されましたが、この間およそ50万個の煉瓦が製造されています。

多摩川鉄橋は、関東大震災や太平洋戦争の空襲にも耐え、日本の輸送の大動脈を支え、今も現役で使用されています。

この橋脚に、日野で作られた煉瓦が使われていることは、とてもすばらしいことではないでしょうか。日野市民の文化遺産として、ずっと大切に守っていきたいものだと思います。

日野煉瓦が見られる場所

多摩川鉄橋以外の場所でも、日野煉瓦を見ることができます。

日野市内では、日野用水下堰架橋、日野用水上堰架橋、日野第一中学校の東側の塀には、日野煉瓦が埋め込まれています。

多摩川鉄橋今昔

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