鮎にまつわる話

北原の松本保さんから聞いた話

平成28年(2016)12月31日(土)に北原の松本保さんから聞いた話です。

昭和10年代後期、ちょうど戦時中のこと、北原の松本さんの北の方にいたおばあさんが、焼いた鮎を串にさしたものを藁の筒にさして、売り歩いていたといいます。お中元かお歳暮の時期になると、松本さん宅にも届けられ、東光寺の母方の実家に届けたのことです。

そう言えば、江戸時代の天保5年(1834)に出た「江戸名所図会 日野津」に藁にさした鮎の絵(下の絵の「一」の字の下にあるのがそれ)がありますが、ちょうどこんな感じだったのでしょうか。

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「江戸名所図会 日野津」に藁にさした鮎の絵

鵜飼い/玉川亭

日野宿には鵜飼いを見せながら鮎料理をふるまう玉川亭という店がありました。

明治20年(1887)代に天野要蔵が旧渡船場近くに玉川亭を開業したところ、甲武鉄道を利用して多くの客が押し寄せにぎわっていたそうです。

天野一利氏の父親が亡くなった後も、母親の手によって営業されていたが、昭和10年代にやむなく閉店したそうです。左写真中央の男性が一利氏の父親で、店では6、7羽の鵜を飼っていたといいます。

仙八鮨

文化・文政(1804-30)の頃に、古川仙八という人がいました。仙八が多摩川の鮎を使って鮨を売り出したところ評判になり、江戸からわざわざ食べに来る人が絶えませんでした。仙八はついには江戸まで鮨の出前をするようになると江戸の人々からたいそうもてはやされたそうです。ただその頃の鮨が押し鮨だったか、握り鮨だったか、今では定かではないといいます。

鮎を釣り上げる!- 裏の川-

 平成22年(2010)9月26日(日)午後4時過ぎ、日野一小北側を流れる通称「裏の川」で鮎を1匹釣りあげました。体長17センチ。ほのかにスイカの香りのする見事な鮎です。

午後3時頃から多くのギャラリーに見守られるなか、約1時間、日野宿発見隊のメンバー谷享司さんにより釣り上げられたものです。

昨年からこの地域の用水清掃に取り組んできた日野宿発見隊だけに、10数匹の鮎が敏捷に泳ぐ姿に一同心が躍るばかりでしたが、それに加えて鮎を釣り上げられるとはちょっぴりうれしい一日となりました。

<追伸>

報告者が引き揚げたあとも頑張ったおかげで、谷さんもう1匹釣り上げた由。2匹とも谷さんといっしょに鮎釣りに挑戦していた親子連れにあげたとのこと。その日の夕餉はさぞや豊かなものになったことでしょう。

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