写真で見る子どもの服装の変遷 【大正期から昭和30年代】
大正期から昭和初期
『聞き書き日野の昭和史を綴る』(昭和史を綴る会編 日野市中央公民館)によると、「昭和初期の服装は、カスリの着物の人が8割で、残り2割の人が洋服であった。着物の裾の右上表側に袋を付けてカクシと呼んでいた。昭和8年(1933)に日野小学校に入学したおりの写真を見ると、洋服を着ているのは公務員や駅長の子供5、6人で、限られた人達であった。履物は、男子はゴムの短靴(ゴム製運動靴)を履いて通っていた。通学鞄は風呂敷に包んでくる人がほとんどで、女子の間ではビロードで綺麗に飾った鞄を持ってくる人もいた。」そうです。
昭和10年代になると中国大陸での戦争拡大の影響を受け、子どもたちの服装にも大きく影を落としていきます。昭和15年(1940)に国民服令が公布され、昭和17年(1942)以降には学生や生徒の共通通学服としても指定され、帽子も陸軍の昭和13年(1938)制略帽(通称戦闘帽)型となっています。№1221や№1641の写真を見るとそれがよくわかります。
昭和20年代から昭和30年代
敗戦により、漸く平和な社会がやってきましたが、戦後間もない時期の子どもたちを取り巻く環境は厳しく食べるだけで精一杯の状況だったようです。
その後、昭和30年代に始まる高度成長期に入るころから、経済的に見ればまだまだ決して豊かとは言えないものの、生活環境が次第に改善の様相をみせはじめ、写真を見ても穏やかな表情を見せる子どもたちの姿が増えてきました。