行楽あれこれ‐野猿峠ハイキング、多摩動物公園、多摩テック
野猿峠ハイキング
『市制施行50周年記念特別展 日野市の半世紀~移りゆくまちの過去と今 そして未来~』(日野市郷土資料館 2013)によると、「昭和25年(1950)、南多摩丘陵一帯が都立多摩丘陵自然公園に指定されました。これがきっかけで、京王帝都電鉄が七生丘陵のハイキングコースを整備し、『野猿峠ハイキングコース』あるいは『ロマンスコース』として宣伝を行った。コースは高幡不動尊の裏山(高幡山)から尾根伝いに北野(八王子市)に至る全長約8.7㎞で、ほぼ中間地点には平山城址公園が」あったそうです。
家族連れや会社の仲間たちにっての手ごろなハイキングコースとして親しまれていたようです。
▶映像『野猿峠ハイキング 昭和31年(1956)4月15日 東尚士氏撮影』
多摩動物公園
多摩動物公園は昭和33年(1958)5月5日に開園しました。終戦後、東京都は新宿区に当初計画していたそうですが、連合軍の意向により断念。このとき、七生村と京王帝都電鉄が誘致をはかり、七生村が土地を、建築工事を京王帝都電鉄が引き受け、完成後に東京都に寄付されたとのことです。
開園日の様子を撮った写真や映像が残っています。当時はまだ京王帝都電鉄動物園線がなかったため、高幡不動駅から動物園まで歩く人の波が延々と続いたといいます。

多摩動物公園 開園の日 1958
古谷永治氏撮影
▶映像『多摩自然動物園へ 昭和33年(1958)5月11日(日) 東尚士氏撮影』
多摩テック
昭和36年(1961)開園した多摩テックは、「エンジン・自動車をテーマにした総合遊園地で、モータリゼーションの発展に貢献し、子供の頃からエンジンに親しめる施設を作ろうという本田宗一郎本田技研工業社長(当時)のアイデアを基に設立された。」(上掲同誌)といいます。けれども平成21(2009)年9月30日をもって惜しまれつつ閉園となりました。

多摩テック 1964
乙津由敏氏撮影

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵

多摩テック 1966か1967
青柳忠穂氏所蔵