日野宿に残る講中の鉦(かね)

「鉦」とは下に伏せて置き、撞木(しゅもく)で打ち鳴らす金属製の仏具、「たたきがね」「ふせがね」と」もいうそうです。念仏講などで使われます。

ここでは以前見学させていただいた下河原、横町、北原、谷戸の4つの講中の「鉦」を紹介します。

下河原の鉦

平年22年(2010)10月14日(木)、日野警察署前を日野橋方面に50mほど行った左手にある下河原の馬頭観音堂を訪ねました。

この日、この馬頭観音堂内を見せていただくことになっていたのですが、鍵を預かる講中の役員の方があいにく入院されてしまい、堂内は見られませんでしたが、お堂の前で写真の講中の「鐘」だけは見せていただくことができました。

この鉦には 「天明八申年三月吉日」(1788)、「江戸神田多川主膳作」「日野下河原村」「観音堂」「施主 浄求」の刻印が見えます。今から230年以上も前に造られた貴重な宝物です。

「天明八申年三月吉日」(1788)、「江戸神田多川主膳作」「日野下河原村」「観音堂」「施主 浄求」の刻印

横町の鉦

平成23年(2011)1月21日(金)、猪鼻洋助さんの紹介で、横町の念仏講で使われている鉦を見せていただきました。

「武州日野下河原村」「念佛講中」「享保十一年午七月」(1726) の刻印が見えます。今から300年近くも前、徳川吉宗の時代の作といいますから、大変貴重な宝物です。

「武州日野下河原村」「念佛講中」「享保十一年午七月」(1726) の刻印
大正3年(1914)10月27日
山当番出勤之帳

万願寺の念仏講

平成21年(2009)11月10日(火)、生沼和彦さんの紹介で万願寺の念仏講を見学させていただきました。

写真は地元の皆さんによって長く守り続けられている講中の様子です。

撞木(しゅもく)で打ち鳴らしているところ

北原のとんがらし地蔵天道念仏

北原とんがらし地蔵の地蔵講で使われていた鉦や百万遍の大数珠です。

鉦には「北原講中」「文化九壬申年七月吉日」「江戸粉河市正作」との刻印があります。*文化九年(1812)

写真は北原とんがらし地蔵講講元松本保氏発行の『とんがらし地蔵建立二百五十年記念 北原村ととんがらし地蔵』(2017年刊)から転載させていただきました。

北原のとんがらし地蔵天道念仏
2008-02-01
北原のとんがらし地蔵天道念仏
2008-02-01
『とんがらし地蔵建立二百五十年記念 北原村ととんがらし地蔵』より転載

谷戸の講中の鉦

平成28年(2016)3月26日(土)開催のまち歩き会「谷仲山・川辺堀之内方面を訪ねて」(第69弾)のとき、谷戸の谷富二さんから見せていただいた講中の鉦です。

谷仲山講中の鉦を見せてくれる谷富二さん
2016-03-26

四ツ谷の講代参

平成19年(2007)3月24日(土)に開催されたまち歩き会「日野のむかしと春を訪ねて」(第4弾)で四ツ谷の街かどで富所村寶印寺(八王子市加住町)の火防[ひぶせ]観音のお札を見つけました。

『四谷のむかし』(1998.7)のなかで、小島茂雄さんは講代参にふれて、「四谷でも榛名山や御岳山に毎年4月8日前後に、講中を代表して4名ずつ参拝する。五穀豊穣家内安全厄難除を祈願し、ご祈祷札を戴いて帰り、講仲間に代参の役目を果たしてきた報告と御札配りが行われている。」と記しています。

そして、講代参する神社仏閣として、大山の阿夫利神社、奥多摩の御嶽神社、八王子霞村の観音様、府中の大國魂神社、川崎大師などを上げています。八王子霞村は加住町、観音様は火防[ひぶせ]観音のことでしょう。

写真の富所村寶印寺(八王子市加住町)の火防[ひぶせ]観音のお札も講代参の名残と考えられます。

寶印寺のお札
2007-03-24
寶印寺のお札
2007-03-24

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

16 − 14 =