稲作/米づくり

江戸幕府が開かれる以前から、佐藤隼人の指揮のもと開削された日野用水からの恵みの水を得て、稲作が行われていました。

そして江戸時代には、日野宿の収穫高は江戸の米蔵と言われるほど豊かなものとなりました。

ここでは春から秋までの稲作の流れを日野宿に残る写真や映像で紹介します。

なお、稲作の一連の流れについて、『日野の用水』(日野市環境共生部緑と清流課 2017)の8頁から15頁を参考にさせていただきました。

春の到来

長い冬がようやく去って、いよいよ春の到来です。田んぼにはレンゲの花が咲き乱れ、子どもたちが楽しそうに遊びます。

№1594
レンゲが咲き乱れる中央線沿いの田んぼ
昭和50年代
大谷典明氏撮影

用水清掃 4月~5月

用水組合の皆さんや日野市による用水の清掃作業が行われます。

田起こし 4月~6月

休眠中の田んぼを目覚めさせるのが田起こしです。硬くなっている田んぼを掘り起こし活性化させる作業です。かつては馬や牛に鋤(すき)をつけて行いました。

苗づくり 5月

消毒をしたお米の種を水に浸して発芽したら、その種を育苗箱に移し大切に育てます。すると1か月ほどで15㎝ほどに育ちます。

№1411
農作業 -苗床
昭和20年代
渡辺ちひろ氏所蔵

荒代かき 5月

梅雨の訪れる前に、用水から田んぼに水が引かれ、土を細かくするための荒代かきにかかります。

No.0976
日野駅北西側 1937 - 牛による荒代かき
真野博氏撮影

代かき 6月

田植えの約3日前に、田んぼの土をこねるようにかきまわします。田んぼの土を平にして田んぼから水がもれないようにするためです。

田起こしや荒代かきと同じように、ここでも馬や牛の力を借りて行いましたが、昭和30年代には耕運機が活躍するようになりました。

こうした光景を東尚士さんが撮影された『四季は永遠に』のなかで見ることができます。

田植え 6月

田植えはまさに瑞穂の国を象徴する叙情的な光景ですが、実際に取り組んでいる農家の皆さんにとってはかなりしんどい作業です。

猫の手も借りたいほどの忙しさです。一家総出で田植えにかかります。下の№0305と№0304の2枚の写真は、教え子の安西清少年の様子を見に訪れた担任の御子柴先生によって撮られた写真です。

田植えと言えばはるか昔に稲作が始まったころから、手で苗を植えるのが普通でしたが、昭和40年代には手動式の田植え機が現れ、今では自動田植え機なども出現し機械化が一層進んでいます。

そう言えば、かつて蛍が乱舞する姿が見られたのもこの6月上旬ごろだったと言います。

成長期 6月~8月

真っ青な青空の下ですくすくと成長する青稲がとても映えます。

畔脇の水路で生き物探しをする親子づれも楽しそうです。

一方この間、農家の皆さんは農薬まき、雑草取り、中干など、猛暑のなかで大変な苦労を重ねられます。

新東光寺の田んぼ
生き物観察
2016-07-30

稲刈り 9月~10月

稲刈りの古い写真が残されていませんので、ここでは参考までに東光寺の田んぼの学校の写真を掲載します。

刈り取られた稲は10日から2週間ほど乾燥させます。

日野宿内の稲刈りの風景を撮った30年代の写真をお持ちの方は是非事務局までご一報ください。

畦に咲く彼岸花
2023-09-19
入野祐子氏撮影
稲干し台に架けられた稲束
東光寺の田んぼの学校
2021-10-14
入野祐子氏撮影

脱穀 10月

収穫した稲の脱穀作業を撮った昭和初期から昭和40年代の写真です。

戦前の脱穀は千歯こきでした。戦後には発動機のついた脱穀機が普及しかなり作業がはかどるようになりました。

収穫

脱穀したもみを袋に詰めて出荷の準備をします。

№0506
収穫-東光寺 1937
志村章氏撮影

豊作に感謝し収穫したお米や野菜を神様に奉納します。

神様に奉納する宝船
松本保氏製作

映像で見る稲作/米づくり

四季は永遠に 変るは生物のみ 春・夏編 昭和30(1955)年撮影 | 日野宿発見隊

元日野市在住の故東尚士氏制作の『四季は永遠に 変るは生物のみ』の2分割したなかの春・夏編。日野宿の春:用水、田圃の代掻き(耕うん機、馬、牛)、田植え 夏:中央線…

四季は永遠に 変るは生物のみ 秋・冬・春編 昭和30(1955)年から昭和31(1956)年撮影 | 日野宿発見隊

元日野市在住の故東尚士氏制作の『四季は永遠に 変るは生物のみ』を2分割したなかの秋・冬・春編。秋:八坂神社の祭り、稲、サツマイモの保存、ススキ、米軍機、雑木林の…

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