日野宿の水車
下の絵は下町で歯科医をされていた故高木昂さんが描かれた明治から大正時代の日野宿です。
日野用水の豊かな流れが張り巡らされていた日野宿には、そのエネルギーを利用した水車(地元の人は「**ぐるま」と呼称)がたくさんありました。
写真が残されているものは数少ないのですが、位置関係など参考になればと思います。
このサイトを作るにあたり、平成13年(2001)3月7日、カワセミハウスで開催された日野の水車活用プロジェクト主催の会で講演された上野さだ子さんの『水車の話』等を参考にさせていただきました。
1 松本善介水車/善介ぐるま(金子橋)
大昌寺の北側を流れる通称「裏の川」の西寄りにあった水車。大正4年(1915)に有山彦吉により新設され、その後、昭和9年(1934)に松本善介が購入し、昭和26年(1951)まで営業。
2 山本芳五郎水車/増田屋(ましだや)ぐるま(仲町)
明治14年(1681)に営業を始め、大正12年(1923)以降に電化されるまで使われていた水車。その間、明治41年(1908)には八王子で水車業を見習った四ツ谷の天野仙蔵がこの水車を借りて営業していた時期があり、天野仙蔵はその後日野駅の西で水車を買い取り天野水車を営業したそうです。
下の写真は水車小屋をやっていた増田屋の後に入った山本商店の山本夫妻。
なお、実際の水車は写真の位置より左手(南側)にあったそうです。
3 下宿の共同ぐるま/共同水車/もやいぐるま
宿裏の用水沿いにあった下宿の模合(もあい/もやい/共同)水車。土地の人は「もやいぐるま」といっています。明治13年(1880)から昭和29年(1954)ごろまで営業していたそうです。
4 留ぐるま/伊藤水車(下町?)
日野用水で二番目に古い水車だと言われています。日野警察署近くの下町・下河原地区センター付近の伊藤さんのところの水車です。慶応3年(1867)に古谷平右衛門が新設し、明治9年(1876)に伊藤留吉が買収し大正15年(1926)まで営業していたそうです。
5 北原の水車/きたっぱら水車/共同ぐるま
北原水車は現在の日野本町4-14-9付近にありました。
写真は古くから北原にお住まいだった故松本保さんが、取り壊される前に撮られた北原水車です。痛々しい姿になってしまいましたが、現役時代の活躍ぶりが偲ばれます。明治13年(1880)から昭和22年(1947)ごろまで(昭和25年ごろまでという記述もあり)営業していたそうです。
6 天野水車/仙蔵ぐるま(四谷)
四谷の天野米店の天野仙蔵が営んでいた水車。明治28年(1895)に天野権三郎が新設し、明治42年(1909)に天野仙蔵が買収した水車だそうです。
7 四谷の水車/共有水車
天野土建(屋号は「大上<おおかさ>」)の西側(栄町二丁目と三丁目の境)にあった水車。
後方に見えるのは多摩川。藤屋(佐藤元雄家の屋号)で発行した「四ツ谷付近風景」に写し出された辺りにこの水車がありました。明治14年(1882)に作られた共有水車です。昭和22年(1947)ごろまで動いていたそうです。
8 東光寺水車
明治26年(1893)から昭和24年(1949)ごろまで営業していたそうです。写真は日野市新町3丁目43番地の2の水車堀公園内に復元された東光寺水車です。
9 渡辺郡平水車(東光寺)
文化3年(1806)に新設し明治30年(1897)ころまで営業していたそうです。
10 鈴木藤吉水車(下宿)
下宿にあった個人持ちの水車。人形展「鈴藤」のスエさんからの聞き取り(平成10年)によれば、明治29年(1896)6月設置願から明治38年(1905)2月まで稼働していたとのことです。(鈴木邦夫氏情報)
11 万願寺共同製粉所
このすぐ近く日野用水下堰に万願寺共有水車として明治31年(1897)に新設され、昭和10年ごろに電気設備が確保されこの場所に製粉所を設けたそうです。平成12年(2000)まで使用していましたが、平成24年(2012)に解体されました。
12 仲井のポンプ小屋
戦争が始まるちょうど前頃に、現広間地児童遊園交差点付近にあった仲井の旧ポンプ小屋前で撮られた写真です。小屋の下を用水が流れていました。子どもたちの右手が川崎街道です。
13 渡辺郡平水車
日野用水下堰にかけられた郡平水車は文政3年(1820)の設置許可書が平野利太郎家に残っていて、明治末ごろまであったそうです。
参考
- 『水車の話』上野さだ子/著(日野の水車活用プロジェクト主催講演会 2001年3月7日 場所:カワセミハウス)
- 「日野の水車台帳」(『日野の歴史と文化』47号』)
- 鈴木邦夫氏調査資料
- 『日野用水450年!ー昨日と今日、そして明日へー』 日野用水開削450周年記念事業推進委員会/編著 日野市環境共生部緑と清流課 2017.3