嶺北山碩伝院欣浄寺
欣浄寺は、元和6年(1620)に八王子滝山大善寺の僧・硯伝が草庵を結び、正保元年(1644)に芝増上寺の長老だった超誉が中興開山したと伝わっています。現在は芝増上寺の教区にあって、大本山知恩院の末寺になっています。
大正7年(1918)2月に山門を除き本尊、本堂、古文書などすべてを焼失し、昭和4年(1929)に再建されました。そして時を経て平成28年(2016)12月に現在の本堂が新築されました。
本堂左手には「寺子屋の碑」があります。これは、千人同心の日野義貴が上宿の金子橋周辺で開いた寺子屋で学んだ教え子たちが恩師の日野義貴を顕彰したものです。日野義貴は文久3年(1863)に亡くなりましたが、当時、新選組として京で活躍していた井上源三郎も教え子の一人として碑の台座の裏に名が刻まれています。
碑を建立した日野義貴の子息・義順【天保10年(1839)生~大正5年(1916)没】も千人同心で、千人同心解散後は彰義隊に加わりました。明治6年(1873)に日野宿の普門寺境内に創設された日野学校(現在の日野市立第一小学校)の初代校長を務め、明治33年(1900)には日野町長も就めました。
このように日野市の学校の発祥の地というゆかりの地である欣浄寺ですが、昭和40年(1965)に欣浄寺みのり幼稚園を開園し今日まで長年地域の幼児教育に貢献されています。日野義順の精神が確実に受け継がれています。