日野宿に栄えた匠の技
日野宿内に栄えた匠(たくみ)の技をもつお店を紹介します。
★順次追加予定です。
曳家「大野」(北原)
曳家/曳屋(ひきや)の日野大野と言われるまでに有名な店でした。
左の写真は、大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災で被害を受けた、八坂神社の鳥居の修理工事に携わった、日野曳家大野の人たちを撮った記念写真です。この石鳥居は同年3月に竣工されたばかりでした。
もう1枚は、北原にあった日野曳家二代目大野熊吉の請負現場を撮った写真です。天狗様や向拝上の白狐や龍の彫り物から、高尾山薬王院の本社(権現堂)と思われます。熊吉は他にも多数の足跡を残しています。
人形店「鈴木商店」(下宿/下町)
下宿にある人形展の鈴木商店。現在の人形専門店「鈴藤」。創業は嘉永初頭(1848~1854頃)で、破魔弓の制作販売をしていたそうです。
昭和8年(1933)、埼玉県で行われていた物産展にお見えになられた昭和天皇が、皇太子(現上皇)誕生に際し直々にご購入されたのが、鈴木商店の破魔弓だったのです。
集合写真は現上皇の誕生を祝って献上する破魔弓を前にした職人たちです。中央の銘版に「天覧品 桃心齋 重月 謹作」とあります。それほどまでに匠の技が認められていたのです。
現在もこの匠の技はご子孫たちによって着実に継承されています。
日野宿発見隊で毎年開催しているスタンプラリーの大型判子の柄の部分は、実はこの鈴藤さんからいただいた破魔弓用に使っていた欅材だったのです。
「猪鼻輪業」(仲町)
猪鼻輪業のあゆみ 昭和4年(1919)12月から令和3年(2021)12月
猪鼻輪業は現店主猪鼻洋助さん(1941年生)の父猪鼻要次さんにより昭和4年(1929)12月に現日野警察署(下河原<したがわら>)付近に開業。しかし、戦時中の空襲で罹災し、すでに確保していた谷戸にて仮住まいする一方、仲町にあった中島雑貨店の好意により倉庫を借り受け営業を再開。その後、本陣脇の現在地に移り本格営業に至ったとのことです。(猪鼻洋助氏談)
そして令和3年(2021)12月末をもって地元の人たちから惜しまれつつ90有余年の歴史に幕を閉じました。
これは余談ですが、猪鼻洋助さんは若いころから旧日野史談会に参加され日野宿の歴史を学ばれています。日野の渡船場についての論考を『日野の歴史と文化』に発表されています。
「タキセ製作所」(仲井)
仲井のタキセ製作所の滝瀬明さんは精密機器製作会社で培った技術をいかし大型鉄道模型の製作に携わっています。
滝瀬さんが製作した精巧な模型は博物館などで展示されているそうです。また、イベントなどで仲間の皆さんと製作した鉄道模型の運転にも取り組んでいるそうです。
写真は日野宿子ども発見隊「まちを調べよう!パート2」(特別企画第2弾)で訪ねたときの写真です。敷地内を走る鉄道模型に乗車でき子ども大人もワクワクさせる体験ができました。
「上田園」(上田)
上田園は日野宿の助郷、上田にある梨園です。昭和5年(1930)、渡辺新助氏が東京府立農事試験場から長十郎、早生赤(4年生)80本払い下げを受け、委託試験を始めました。(『日野市果実組合75年史』より)
ここから日野の梨栽培の歴史が始まりまた。梨狩りが観光ブームにもなった昭和30年代から40年代の全盛期を経て、今では梨園農家もかなり減りましたが、梨栽培の伝統は後継者の皆さんによって大切に引き継がれています。
東京府委託梨試験地 ‐ 上田園 1935
渡辺ちひろ氏所蔵
品川印店(森町)
森町にあった品川印店は判子屋さんです。地元の人ならば品川さんに彫ってもらった判子がいくつかお持ちではないでしょうか。
そんな品川明雄さんは判子屋さんとして地域に貢献される一方、忘れてはならないのが写真家としての品川さんです。
八坂神社の祭りや新選組まつりの写真と言えば必ず品川さんのお名前が出てきます。さまざもな写真コンテストでも頻繁に入選されています。日野宿発見隊でも日野宿を記録した多数の写真を提供していただき、「まちかど写真館」で大いに利用させていただいています。
数年前にお店の方は畳まれてしまいましたが、品川さんの判子と写真はこの町の宝として末永く語り継がれていくことでしょう。
八坂神社の祭り 1976 - 宮神輿渡御 - 仲町
品川明雄氏撮影