四谷地区に電灯がついたころ
『日野町誌』によると、大正5年(1916)5月、日野町の一部に東京電灯株式会社の電灯が、国道(甲州街道)沿い及び四谷に200戸、300灯がつきました。これは当時、日野町が属していた南多摩郡で初めてのことだったといいます。
国道沿いと同時に四谷地区がついたのは、四谷の小島茂雄さんの『四谷のむかし』によると、四谷の天野清助さんが当時東京電灯株式会社の大株主だったので優先送電となったからのようです。
日野町の一部に引かれた電灯は普通の家で2灯。1灯のところもあったものの、すべて屋内灯で、ただひとつ天野家に外灯がついていたそうです。料金は定額でした。
照度は1、2ワットとかなり暗かったようですが、電灯は固定されず、5、6メートルのコードで移動ができ、点滅はそれぞれのスイッチでしたそうです。石油ランプの油入れに手を汚すこともなく、ホヤ掃除の日課もなくなり楽になったといいます。また、養蚕の夜間作業にも便利で、大正7年(1918)5月には日野町全域に普及したそうです。