日野宿の方言 その1
『聞き書き日野の昭和史を綴る』(日野の昭和史を綴る会編 日野市中央公民館 1994.3)に「日野の『みゃーみゃー言葉』」と題する記事が載っています。それによると、
日野の言葉は、「おまえ」を「おみゃあ」と発音し、例えば「そうじゃにゃあよ、おみゃあよう」というようなものだったそうです。日野ではどちらかというと男は「おめえ」、女が「おみゃあ」を使ったともいいます。「おみゃあよう」という言葉は、東海地方の言葉と不思議と共通しており、これは、江戸時代日野宿の代官だった江川太郎左衛門の手代の人が年中まわってきていたので、あるいはその人達から広まった可能性もあると述べています。
それともうひとつ、昭和12、3年(1937、1938)頃からオリエントや日野自動車などの大工場ができて、他所から入って来る人口が多くなってくると、日野の子どもも恥ずかしがるようになったのか、言葉が変わってきてしまったそうですが、それでもまだ、「し」と「ひ」の発音の区別がつかない、例えば、「ひがし」を「しがし」、「日野」を「しの」といったり、井戸端を「えどばた」、浅川を「あざかわ」と濁って発音する人がまだいたそうです。