日野宿のお囃子

『日野市史民俗編』によれば、古来東光寺部落には車人形・双盤講(そうばんこう)・念仏踊り・祭囃子など数多くの郷土芸能があった形跡が残っているそうです。

古老の話では「東光寺には古くから祭囃子に類する囃子があった。それがどのようなものだったかはっきりしない。その囃子連が目黒から弥一という師匠をよび、正調の目黒囃子の指導を受け、その囃子が現在も受け継がれている」ということです。

東光寺に目黒囃子が導入された時期についてのはっきりした史料は残されていないものの、囃子用具のすり鉦に「明治五壬申四月日 東林連中」の銘があり、この東林連中とは東光寺囃子連中の意味で、これが目黒囃子導入の時期を示すのであろうと記されています。

この東光寺祭囃子は、昭和20年代に日野宿の加組及び東町にも伝えられたそうです。

なお、「日野の祭ばやし」は、平成26年3月28日に、無形民俗文化財に指定されました。保存団体として、東光寺囃子連、日野囃子保存会、豊田囃子保存会、四ツ谷睦囃子連、東町囃子連、日野囃子愛好会、同志会囃子連の7団体が指定されています。

【参考】日野市役所HPに掲載された「市指定無形民俗文化財 日野の祭ばやし」についての紹介文には、「日野市域に伝わる祭ばやしは、東光寺地区に嘉永2年(1849)頃に伝わったものが始まりと考えれています。幕末には一時衰退したものの、明治5年頃に目黒から弥一という師匠を招き、このはやしが以後、日野市域に広がっていったようです。」と紹介されています。

上の写真は平成25年(2013)8月31日(土)、日野宿発見隊主催で開かれた日野宿夏祭り夕涼み会(第七回)で演奏する日野囃子保存会のメンバーです。

写真でみる加組、仲町、東光寺、第一睦会のお囃子

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

eighteen − fourteen =