姿を消した農機具
かつて江戸の米蔵と言われた日野宿ですが、その農業を陰で支えたきた農機具などを紹介します。
千歯扱き(せんばこき)
日野市郷土資料館で展示されていた千歯扱きです。
千歯扱きは江戸時代の元禄年間(1688年から1704年)に発明されたという手動式の脱穀機です。
斜め上向きに並べた複数の歯と歯の隙間に稲穂を挟んで引いて脱穀します。
足踏み脱穀機
江戸時代の元禄年間(1688年から1704年)に発明されたという千歯扱きから、足踏み脱穀機に変わり、作業も少し楽になったでしょうか。
写真は戦時中の農家で、足踏み脱穀機を使って脱穀をしているところです。男手の少ないなかでの農作業でした。
石油発動式脱穀機
昭和30年代の石油発動式脱穀機です。機械化により一段と作業がはかどりました。
唐箕(とうみ)
戦前の昭和12年(1937)に撮られた写真です。唐箕(とうみ)で米と籾殻を選別しているところです。故松本保翁によると、農家では11月に大根の収穫や麦の種まきが済んだ後一段落してからこの作業にかかったといいます。
万石通(まんごくどおし)
昭和45年(1960)に撮られた写真です。唐箕を使って米と籾殻を選別したものを更にきれいに選別するためにこの万石通を使ったそうです。万石通は貞享(じょうきょう)年間(1684年~88年)のころに発明されたといわれます。
唐箕にかけて出てきた籾を写真のように万石通の漏斗にいれると、金網の上を流れる間に粒だけがきれいに残る仕組みだそうです。
戦前の農作業の様子と違い、戦後の平和な農作業風景を感じさせる光景です。
餅つき機
餅つき機は、ホッパーというロート(漏斗、じょうご)から蒸したもち米を入れ、動力で中の羽を回転させ、餅をつく機械です。鈴木邦夫さんによると「蒸した糯米(もちごめ)を上から入れるとグニュグニュと餅が出てくる」そうです。
座席の付いた二輪車
まち歩き会で訪ねた下河原の旧家滝瀬家の蔵に架かっていた座席の付いた二輪車です。馬に引かせたものでしょうか。