2025-09-02
大正、昭和の日野宿を走った人力車、自転車、舟、オートバイ、荷車(大八車)、トロッコ、耕運機、自動車、ジープ、消防車、バス、トラック、ブルドーザーのほか、上空を飛んだ飛行機やヘリコプターなどの乗り物を写真と映像で紹介します。
2025-03-07
日野宿内の道路上にかつてあったもので、今は姿を消した歩道橋や標識などを紹介します。
2025-03-03
日野宿には東西の百段階段(仮称)のほか台地部分と平地を結ぶ階段がいくつかあります。
2024-12-23
日野宿には日野台地に上がるための坂がたくさんあります。今では姿を消した坂、新たに生まれた坂など、主な坂を紹介します。
2024-10-25
日野宿で日野煉瓦とは違うもうひとつの煉瓦が使われていたことがあります。それは八王子市長沼にあった大阪窯業(ようぎょう)製の煉瓦です。
2024-09-30
日野本町4丁目のガソリンスタンド馬場商会の前に、「かねこばし」と銘が入った擬宝珠付きの橋の欄干を模したモニュメント(石碑)が建っています。
2024-08-08
甲州街道が貞享元年(1684)に日野の渡しを通る道筋に変更された後、日野の渡しで多摩川を渡った旅人は現在の「新奥多摩街道入口交差点」まで南へと進み、そこで曲がり、西へ向い日野宿に入りました。
2024-08-06
甲州街道の日野大坂は明治17年(1884)に大々的改修が行われ、四間道路となりました。また新しい日野大坂(駅の西側)は昭和7年(1932)頃失業対策事業として新設され、昭和11年(1936)頃コンクリート補装道路になりました。
2024-06-27
立日橋(たっぴばし)は、多摩川に架かる、日野市と立川市を結ぶ道路と多摩都市モノレール線がひとつになった橋です。
2024-06-23
日野宿は、内藤新宿、高井戸、布田五宿、府中に続く宿場です。両隣の府中宿や八王子宿ほどの大きさではないものの、多摩川の日野の渡しの経営・管理という重要な役目を担う特別な宿でした。
2024-06-23
日野図書館のある場所は、江戸時代には問屋場・高札場があったところです。問屋場は日野宿で最も重要な施設でした。
2024-04-25
江戸時代初期、五街道のひとつとして整備された甲州街道(当時は甲州海道)は、当初、府中分倍河原から多摩川の低地を通り、多摩川を万願寺で渡っていました。
2024-04-25
日野橋は国道8号(東京〜甲府線)が多摩川を渡る橋として、大正15年(1926)8月25日に開通しています。これによって、江戸時代初期から使われてきた日野の渡しは270年あまりの歴史に幕を閉じています。
2024-04-25
徳川家康が江戸に幕府を開いた時、五街道と呼ばれる江戸から放射線状に地方と結ぶために五つの道を定めました。
甲州街道はそのうちの一つです。
2024-04-25
甲州街道は長い歴史の間に、その道筋を変えています。
貞享元年(1684)に日野の渡しを通る道筋に変更されまで、開設から80年間あまり使われた道が残っています。