2024-06-23
日野図書館のある場所は、江戸時代には問屋場・高札場があったところです。問屋場は日野宿で最も重要な施設でした。
2024-06-22
八坂神社の祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)です。かつて牛頭天王様として呼ばれていた時代から、日野宿の総鎮守として氏子から親しまれていました。
2024-06-21
絵本『ひのっ子日野宿発見』HP版は「ひのっ子日野宿発見」と「日野宿こぼれ話」の2つのサイトから構成されています。
2024-06-19
昭和30年代初頭に日野宿で競馬をやっていたころの話です。
2024-06-18
日野宿の青少年が各種運動大会など活用した記録です。
2024-06-18
現在の矢の山公園付近に戦前は某財閥所有、戦後は進駐軍将校用の別荘がありました。
2024-06-18
火事/火災の記憶を伝えるために、日頃からの防火の取り組みや火災発生時に活躍する消防団などを紹介します。
2024-06-18
日野宿で飼われていた動物たちを紹介します。畑や田んぼを耕す馬や牛、鵜飼いの鵜、狩猟犬、ヤギ、愛犬など、人々とともに生きた動物たちです。
2024-06-16
八坂神社境内で年末に野菜の販売会が開かれていたことがありました。
2024-06-16
加組には昭和初めに結成された楽隊があったそうです。
2024-06-16
昭和40年(1965)9月21日、1台の移動図書館ひまわり号が市内を巡回し始めました。初代館長は前川恒雄さんでした。前川さんは、建物の図書館をひとつ作ってそれでおしまいではなく、まず図書館とはどういうものかを身をもって知ってもらうために、あえて移動図書館による図書館サービスを選んだといいます。
2024-06-16
有形保存されている旧農林省蚕糸試験場日野桑園第一蚕室、通称「桑ハウス」があるところが仲田の森蚕糸公園です。ここに自然を体験できる広場があります。
2024-06-16
日野みこし連合協議会加盟団体およびその他の団体の半纏を紹介します。平成20年(2008)9月に志村家で開催された日野の祭り半纏展で展示した祭り半纏をカメラマンの井上博司さんにより撮影されたものです。
2024-06-10
「引札」は日野宿に残された美術的にも資料的にも大変面白く興味深い貴重な史料です。
2024-06-09
日野宿の町場と枝郷の地名とおおよその位置関係を紹介します。「まちかど写真館 in ひの データベース」にも展開できます。
2024-06-03
欣浄寺みのり幼稚園の角地に小さな地蔵堂があります。扉には赤い唐辛子が幾つか結びつけられていています。
2024-06-03
万願寺在住の生沼和彦さんによるささら流し唄(仮称)の映像です。
2024-06-03
日野宿の仲町にお住まいだった東尚士さんにより撮影された昭和29年(1954)の映像と、今尾恵介さんの日野駅開業130年記念講演録です。
2024-06-03
平成22年(2010)1月、開設120周年を迎えた日野駅の明治から昭和の写真をもとに、地元の方々から貴重なお話を伺いました。その記録集のPDF版データをアップしています。
2024-06-03
明治23年(1990)1月に日野停車場が開業してから、ちょうど120周年を迎えた日野駅を地元の人たちとお祝いしたい、そのような思いから平成22年(2010)1月、日野駅と共催で各種の記念行事を開催しました。
2024-05-31
卒業生により発掘された日野尋常高等小学校校門礎石を日野図書館前に展示しました。
2024-05-29
平成25年(2013)1月9日、午前11時から1時間ほど、現在進められている日野駅西側、大坂上に抜ける歩道の拡幅工事現場を見せていただきました。
2024-05-28
平成22年(2010)7月24日(土)夕方から、大昌寺北側の日野用水、通称「裏の川」(宿裏堀)が開渠され、ここに親水広場が完成したため、日野市主催のお披露目式が行われました。
2024-05-27
日野宿発見隊のメンバーと日野一中の生徒有志の皆さんと、学校敷地内や校舎周辺を流れる日野用水(下堰)の清掃に取り組んでいます。
2024-05-27
各家で長年大切の受け継がれてきた我が家の自慢のお宝、市井の人々の生活感が満ちあふれる貴重な財産です。
2024-05-18
佐藤彦五郎は文政10年(1927)9月25日、日野宿の名主下佐藤家の半次郎とまさの長男として誕生しました。11歳で祖父10代彦右衛門から日野本郷名主を引き継ぎ、弘化2年(1845)に石田村の土方のぶ(婚姻前はとく)と結婚しました。
2024-05-18
この馬頭観音菩薩さまを持ち上げられると願いが叶うと言い伝えられています。
2024-05-15
日野図書館の前身は昭和42年(1967)7月2日に、日野福祉センター2階の一室に開設した福祉センター図書館です。その後、昭和55年(1980)5月18日に現在の位置に移り、名称も日野図書館と改めて開館しました。
2024-05-15
東光寺坂を挟んで左手の斜面には、カタクリの群生地があり、春には可憐な花が咲きみだれ、一方右手の斜面には鬱蒼とした孟宗竹の竹林が広がっています。
2024-05-15
長年「桑ハウス」として市民から親しまれてきた建物が、貴重な文化遺産として保存を呼びかけてきた皆さんの願いがかない、平成29年(2017)に「旧農林省蚕糸試験場日野桑園第一蚕室」として日野市初の国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。
2024-05-15
欣浄寺は、元和6年(1620)に八王子滝山大善寺の僧・硯伝が草庵を結び、正保元年(1644)に芝増上寺の長老だった超誉が中興開山したと伝わっています。現在は芝増上寺の教区にあって、大本山知恩院の末寺になっています。
2024-04-25
江戸時代初期、五街道のひとつとして整備された甲州街道(当時は甲州海道)は、当初、府中分倍河原から多摩川の低地を通り、多摩川を万願寺で渡っていました。
2024-04-25
日野橋は国道8号(東京〜甲府線)が多摩川を渡る橋として、大正15年(1926)8月25日に開通しています。これによって、江戸時代初期から使われてきた日野の渡しは270年あまりの歴史に幕を閉じています。
2024-04-25
宝泉寺は、臨済宗建長寺派の禅寺です。創立は元徳年間(1330年頃)と伝えられ、開祖は鎌倉建長寺の曇芳同応大和尚です。
2024-04-25
たしかなことは明らかではありませんが、東光寺薬師堂は 平安時代の中期、日奉宗頼の孫の西大夫宗忠が谷地川と多摩川の合流点に近い高台の西北隅、遠望のきく東光寺台地に居館を築き、その鬼門よけのために、東光寺と薬師堂を建てたといわれています。
2024-04-25
天台宗の寺院で円通寺(八王子市高月町)の末寺。本尊は阿弥陀如来坐像です。
2024-04-25
用水沿いに「まちのお宝発見事業 東光寺大根、ここにあり」の看板。12月に入ると、その後のビニールハウスに短冊状に「東光寺大根」が干されます。そばを通りかかるだけで、ツンとくるようなキュッとくるような独特な香りが漂ってきます。
2024-04-25
日野本郷四谷、現在の栄町2丁目に鎮座する日野宮神社。その創立年代は不明ですが、祭神は、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)・高魂尊(たかみむすびのみこと)、そして武蔵七党、西党の祖、日奉宗頼が武蔵国の国司となり、その孫西内大夫宗忠が西党の始祖となって、その子孫が祖神を祀って日野官権現と称したといわれています。
2024-04-25
多摩川に近い四谷地区。長い間多摩川の洪水の危険にさらされて来たここには「うなぎ」を食べてはいけないという習慣が今でも伝えられています。
2024-04-25
日野駅から東光寺方面を結ぶ道の歴史は古く、江戸時代の始め、甲州街道ができる前から使われていたと言われています。
2024-04-25
公園のある周辺は、日野駅からも近く、田んぼは次第に住宅へと変わり始めました。
2024-04-25
日野市域には、現在も全長約116kmにおよぶ12の用水が流れています。日野市は、平成7年(1995)に、国土庁から「水の郷(さと)」に指定されましたが、多摩川・浅川の豊な流れ、崖下の豊富な湧水とともに、整備された用水の存在が、指定の大きな理由と言えるでしょう。
2024-04-25
日野市は、湧き水がたくさんあり、さらに米作りのために、多摩川と浅川から引かれた農業用水路が市内を網の目のように流れ、大変水に恵まれています。その用水路の中でも日野用水は江戸時代前に開削された、一番古い用水です。
2024-04-25
日野第一小学校の校歌は「南に仰ぐ富士の高嶺、北に流れる多摩の流れ…」と唱われ、多摩川は日野ならではの風景になっています。
2024-04-25
日野を走るJR中央線は、最初は『甲武鉄道』という「私鉄」として開業しました。
2024-04-25
大正14年(1925)3月24日玉南鉄道として開業した京王電気鉄道は開設時から複線化され、電車が走り、運転本数、所要時間ともに中央線を上回っていました。