2024-09-03
日野宿に残る井戸ポンプ、井戸掘り、水道などについて紹介します。
2024-09-02
日野宿に生きた、あるいは今も生き抜くケヤキやイチョウなどの名木古木を紹介します。
2024-08-26
かつて日野宿にあった茅葺き(藁葺き)屋根の家を紹介します。
2024-08-23
日野宿(一部枝郷を含む)で地元の人々に愛されてきたお店のなかから、今は姿を消した懐かしいお店を写真をもとに紹介します。
2024-08-23
日野宿で大正、昭和、平成時代に行われた道路、橋、用水、河川工事など主な工事を写真や映像で紹介します。
2024-08-21
日野宿には日野台地に上がるための坂がたくさんあります。今では姿を消した坂、新たに生まれた坂など、主な坂を紹介します。
2024-08-21
自治会活動の拠点として長く利用されていた仲町会館、北原自治会館、四谷自治会館などが惜しまれつつ姿を消しました。
2024-08-19
日野宿内の道路上にかつてあったもので、今は姿を消した歩道橋や標識などを紹介します。
2024-08-15
日野用水は上堰と下堰の二つの流れに分かれ、その流れもさらに細かく分かれて、日野宿内に水の恵みを与えてくれます。
2024-08-11
かつて江戸の米蔵と言われた日野宿ですが、その農業を陰で支えたきた農機具などを紹介します。
2024-08-10
大正、昭和の日野宿を走った人力車、自転車、舟、オートバイ、荷車(大八車)、耕運機、自動車、ジープ、消防車、バス、トラック、ブルドーザーのほか、上空を飛んだ飛行機やヘリコプターなどの乗り物を写真と映像で紹介します。
2024-08-10
稲作の流れを日野宿に残された写真や映像で紹介します。
2024-08-08
甲州街道が貞享元年(1684)に日野の渡しを通る道筋に変更された後、日野の渡しで多摩川を渡った旅人は現在の「新奥多摩街道入口交差点」まで南へと進み、そこで曲がり、西へ向い日野宿に入りました。
2024-08-06
甲州街道の日野大坂は明治17年(1884)に大々的改修が行われ、四間道路となりました。また新しい日野大坂(駅の西側)は昭和7年(1932)頃失業対策事業として新設され、昭和11年(1936)頃コンクリート補装道路になりました。
2024-07-27
日野宿内で今もあつく信心されている主なお地蔵さま(地蔵菩薩)を紹介します。
2024-07-26
日野宿本陣は都内で唯一残る江戸時代に建てられた本陣建物です。今の建物は嘉永2年(1849)正月18日の大火で焼失してしまった主屋にかわるものとして建設されました。幕末に日野宿の問屋と日野本郷名主を務めていた佐藤彦五郎が本陣兼自宅として翌元治元年(1864)12月から使用された建物です。
2024-07-24
地元の人が記録した日野宿の資料を紹介します。今回は戦後編です。
2024-07-16
日野宿の下河原、横町、北原、谷戸に残る講中の鉦(かね)を紹介します。
2024-07-16
絵本「ひのっ子日野宿発見」発刊からweb版「ひのっ子日野宿発見」へ
2024-07-15
江戸時代には日野用水から恵みの水を得て三千石といわれるほどの石高を誇った日野宿でした。しかし、昭和40年代の高度経済成長期を経て、日野宿の田んぼも次第に姿を消していきます。
2024-07-15
日野宿子ども発見隊では毎年夏に、新東光寺地区センター前の日野用水を利用して、生き物観察をしています。
2024-07-15
明治23(1890)1月開業の日野停車場、昭和12(1937)6月開業の日野駅関係の旧写真がご覧になれます。
2024-07-13
日野用水の恩恵を受けて潤っていた日野宿を陰で支えた水車を紹介します。
2024-07-10
地元の人が描いた明治から平成の日野宿の絵図や地図を紹介します。
2024-07-08
日野宿にも日清、日露、第二世界大戦と度重なる戦争に翻弄された市井の人々に引き継がれる戦争の記憶があります。
2024-07-07
宝泉寺、大昌寺、欣浄寺、普門寺、成就院、薬王寺など、日野宿内のお寺を紹介します。
2024-07-07
日野宿発見隊では平成21年(2009)から日野宿で受け継がれている屋号のなかから、了解を得られたお宅の屋号看板を新たなデザインで製作し日野宿内に展示しています。
2024-07-07
屋号看板の製作には至りませんでしたが、日野宿にはほかにもたくさんの屋号が残っています。
2024-07-06
平成21年(2009)6月13日(土)から9月30日(水)まで、「まちかど写真館 in ひの - 日野用水・今昔 -(第19弾)」を開催しました。
2024-07-05
日野宿で長年行われてきた冠婚葬祭の様子を紹介します。
2024-07-05
八坂神社の祭りの古写真を「明治期から昭和10年代」「昭和20年代から昭和30年代」「昭和40年代から昭和50年代」の3つの年代に分けて掲載しています。
2024-07-05
日野宿内にかつてあった中央線の2つの踏切を紹介します。ひとつは大正時代に、もうひとつは昭和時代に廃止になりました。
2024-07-01
八坂神社の例大祭は、現在は毎年9月に宵宮、本祭、境内内の八幡社祭の3日間執り行われます。
2024-07-01
義盛はとうもろこし畑に逃げ込んだため、足をとられて倒れたところを敵に殺されてしまったのでした。生き残った和田一族の人たちは義盛の死を悼み、それからはとうもろこしをいっさい食べないということです。
2024-07-01
北原の松本保家の新築工事の「たてまい」までの様子を撮った写真です。
2024-06-27
日野宿の戦前・戦後の巡査駐在所や警察署についてのお話です。
2024-06-27
立日橋(たっぴばし)は、多摩川に架かる、日野市と立川市を結ぶ道路と多摩都市モノレール線がひとつになった橋です。
2024-06-24
大正から昭和の日野用水を写真と映像で振り返ります。
2024-06-23
日野宿は、内藤新宿、高井戸、布田五宿、府中に続く宿場です。両隣の府中宿や八王子宿ほどの大きさではないものの、多摩川の日野の渡しの経営・管理という重要な役目を担う特別な宿でした。
2024-06-23
日野図書館のある場所は、江戸時代には問屋場・高札場があったところです。問屋場は日野宿で最も重要な施設でした。
2024-06-22
八坂神社の祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)です。かつて牛頭天王様として呼ばれていた時代から、日野宿の総鎮守として氏子から親しまれていました。
2024-06-21
日野宿には東西の百段階段(仮称)のほか台地部分と平地を結ぶ階段がいくつかあります。